1950年代後半にアメリカから日本に伝わり、大きなムーブメントを巻き起こしたロックですが、本当の意味で日本人に受け入れられるまでには、それから長い年月を要しました。今回はロックが“お茶の間”に浸透しはじめた1970年代後半の音楽シーンについて、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が紹介します。
※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2023年6月9日放送回より
【中将タカノリ(以下「中将」)】 今回の放送は6月9日=「ロックの日」ということで、それにちなんだテーマをお届けしたいと思います。今でこそ老若男女に自然に受け入れられているロックですが、1950年代後半にエルヴィス・プレスリーらの影響でロックが伝わって、この状況に至るまでには長い道のりがありました。
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 いつくらいに普及したんでしょうか? 1980年代とか?
【中将】 明確にいつというのは難しいですが、僕がロックの日本のお茶の間に受け入れられたと思うのは、1970年代後半。もちろんそれまでにもザ・ビートルズが流行ったり、グループサウンズ(GS)ブームがあったり、いろんなロックのムーブメントはあったんだけど、一部の若者に支持されているにすぎなかったと思います。
【橋本】 それが1970年代後半に状況が変わってきたということですね。私の父や母が10代前半の頃です!
【中将】 はい、『レッツゴーヤング』(NHK)や『ザ・ベストテン』(TBS)などテレビの人気音楽番組が始まり、ロック、ニューミュージック系のミュージシャンも出演するようになりました。ロックバンドでは甲斐バンドが先駆者的な存在だと思います。「裏切りの街角」(1975)はオリコン・ウイークリーランキングで7位までいってますしね。
【橋本】 脱線しますが、甲斐バンドって甲斐よしひろさんがやってるから“甲斐バンド”なんですね(笑)。最近、こういうネーミングはないから、理解するまでに時間がかかりました。
【中将】 1970年代くらいまではけっこうあったんですよ(笑)。「井上堯之バンド」とか。