甲斐バンド、桑名正博、世良公則…ロックをお茶の間に浸透させたミュージシャンの苦悩と創意工夫 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

甲斐バンド、桑名正博、世良公則…ロックをお茶の間に浸透させたミュージシャンの苦悩と創意工夫

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【橋本】 そうなんですね! 甲斐バンドはこの番組でも何回かご紹介させていただきましたが、「裏切りの街角」からはあまりロックを感じませんでした……。

【中将】 今の音圧に慣れた世代だと、そう感じちゃうかもしれないですね。でも、この曲は当時、多くのミュージシャンが憧れたイギリスのロックバンド、The Kinksの「Village Green」(1968)にメロディーやイントロが激似なんですよ(笑)。初期の甲斐バンドには確かにちょっとフォークっぽいニュアンスもありますが、歌詞のメッセージやアイデアがロックだったという感じでしょうか。

 1970年代初期のロックバンドといえばキャロル、はっぴいえんどが有名ですが、実はオリコンランキングでは数十位どまりで一般に浸透しているとは言い難かった。その点、甲斐バンドはセカンドシングルの「裏切りの街角」でいきなりトップ10入り。その後、しばらくテレビに出なくなっちゃうんですが、「HERO」(1978)が大ヒットしたときは『ザ・ベストテン』に出演して話題になりました。

【橋本】 「HERO」は私も知ってます! あと「安奈」(1979)。カラオケスナックでも定番の曲ですね。

【中将】 次にご紹介するのは関西のロックシーンが輩出したあの方です。桑名正博さんの「哀愁トゥナイト」(1977)。

【橋本】 これはロックと歌謡曲がミックスされたような感じですね!

【中将】 まさにその通りです。桑名さんは1970年代前半にファニー・カンパニーのボーカリストとしてデビューしました。同時期にデビューしたキャロルとともに、ロックシーンでは注目されたんですが、今ひとつ売れ切らなかった。それで1975年にソロデビューして、初めは自作の曲でレコードを出すんですが、やはり売れない。そこで路線変更して松本隆・筒美京平コンビの曲を提供してもらって出したのが、この曲です。ロックでありながら歌謡曲というこの時代特有のスタイルで、後の「セクシャルバイオレットNo.1」(1979)の大ヒットにつながります。

【橋本】 うわ~、シンガーソングライターとしての悩みどころですね! 売れなくても自分を貫くか、売れるためにやれることはなんでもやるか……。でも、さすが松本さんと筒美さんのコンビだけあって、いい曲を書かれますね。

【中将】 そうですね、こういうテイストでテレビにも積極的に出たから、一般のリスナーにロックを届けることができたんだと思います。その後、桑名さんはまた自作の曲をメインに打ち出して活躍されましたが、それができたのもここで売れたからこそかもしれません。

 次に紹介するのはCharさん。「気絶するほど悩ましい」(1977)です。


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