【中将】 運命的ないきさつがあったわけですね。そして翌年には『パパはもうれつ』(1974)でデビュー! 僕、個人的に最後のフレーズが大好きなんです。「パパ、パパ あなたは 私の神様 叱られて撲られても 仕方ないのね」……すごい歌詞だなと(笑)。
【篠塚】 「スター誕生!」で審査をされていた阿久悠先生の作品だけど、昭和は強烈な歌詞がたくさんありましたよね。
【橋本】 初めて歌詞や曲が来たときの印象はいかがでしたか?
【篠塚】 はじめは中村泰士先生の弾き語りで聴いたんです。ギターでブギ調だったのですが、私はもともとブギが好きだったのでとても気に入りました。
【中将】 曲が先だったんですね。歌詞はどう思われましたか?
【篠塚】 言葉数が多くて難しいなと思いました。それに、新人の曲って普通はシンプルな構成だけど、この曲は最後に転調するんですよ。そうとうプレッシャーを感じましたね。
【中将】 イントロもユーライア・ヒープの『安息の日々』(1972)にちょっと似ていてロックみを感じます。
【篠塚】 “ユーライア・ヒープ歌謡”と呼ばれているそうですね(笑)。アレンジを担当したあかのたちお先生の腕です。
【中将】 その後、立て続けに『曇り空』(1974)、『嫁入り前』(1975)をリリースされました。
【篠塚】 『曇り空』はフォーク調、『嫁入り前』はロックンロール調の曲です。『嫁入り前』はとても歌いやすくて、周りからも評判が良かったです。この曲から篠塚=ロックンロールのイメージが付いていったのかもしれませんね。
【中将】 マミー&オールディーズ・ファミリーバンドでの活動につながるんですね。
【篠塚】 はい、事務所はたった2年でクビになっちゃったんですが、林ゆたかさんのお誘いでオールディーズ・ライブハウスのケントスで歌うようになりました。そこで結成したのがマミー&オールディーズ・ファミリーバンドです。
【中将】 この頃の曲は和モノDJイベントでよく使われています。僕もアルバム『ロックン・ロール・パーティー』(1977)に収録されている『サンライト・ツイスト』が好きで、若い頃にクラブで踊っていたのを思い出します。こういう喉をたっぷり使った歌唱法でロックンロールやオールディーズ調の曲を歌うのって、篠塚さんがパイオニアじゃないでしょうか。ザ・ヴィーナスが『キッスは目にして!』(1981)で売れる何年も前ですからね。
【篠塚】 もちろん1960年代なら青山ミチさんとかいらしたけど、それ以降で言うとそうかもしれませんね。マミー&オールディーズ・ファミリーバンドはゆたかさんがあわてて集めたバンドだったので、実はみんなオールディーズには興味ない人ばかりでした。ハードロックとかAORとか、もっと最先端のロックが好きで、後にアン・ルイスさんのバックバンドになった人もいます。私も「これからはパンクだ!」なんて言い出して、解散する頃は丸坊主で黒い口紅つけて歌ってましたね(笑)。
【中将】 (笑)。でもそのせいなのか、サウンドやジャケットデザインもあか抜けてますよね。篠塚さんはこの頃から作詞家としても活動されるようになりますが、どんなきっかけがあったんでしょうか?