【篠塚】 これも変なきっかけだったんですが、あるとき、某出版社からヘアヌードのオファーが来たんですよ。別にやっていいんだけど、それをやってしまうと次は映画の濡れ場シーンとかオファーされるでしょう。そこまではやりたくないし、悩んで佐藤ありすに相談したら「それはともかく今度、世界名作劇場でテーマ曲を担当するから歌ってみない?」とスタッフに紹介されました。
【中将】 あんなに爽やかな名曲なのにヘアヌードきっかけだったんですね(笑)。
【篠塚】 結局、ヘアヌードは断ってるんですよ(笑)。
【中将】 デビュー50周年ということで今からでもお待ちしております(笑)。話を本題に戻しまして……デビュー以来、流転を重ねつつも順風満帆な芸能生活を送ってこられた篠塚さんですが、2001年に活動休止されます。
【篠塚】 母がアルツハイマーになってしまって、父の手に負えなくなったので呼び戻されたんです。そのうちに父も前立腺がんになって……結局、15年も介護が続きましたが、十代から芸能の世界に入って忙しくしていたから、親の最期を看取れたのは良かったと思っています。
【中将】 ご自身もお病気されたと聞きました。
【篠塚】 父を看取るちょっと前から調子が悪くなって、診察を受けたらパニック障害だと言われました。続けて胃潰瘍になって、がんも。結局はストレスだったんでしょうね。
【中将】 今は健康になられてなによりですが、復帰は大変じゃなかったですか?
【篠塚】 知り合いもほとんど一線から退いたり亡くなったりしていたので、浦島太郎状態でしたね。でもあるとき、友だちが遊びに来てスマホにInstagramを入れてくれたんです。初めのうちはどう使っていいものやら検討つかなくて放置していたんですけど、関西でDJをしているずーしみちゃんが「飼っているワンちゃんのハッシュタグを作りましょうよ」と提案してくれて。投稿しているうちにファンの方たちと交流が始まって、活動の機会も増えて今に至るという感じですね。
【中将】 久しぶりに活動再開されてご心境はいかがでしょうか。
【篠塚】 今思えば娘にそばにいてほしくて苦し紛れの言葉だったと思うのですが、介護中に父から「もうお前のことなんか誰も待ってやしないよ」と言われて落ち込んでいました。でも久しぶりにライブをすると、何人もの熱狂的なファンの方が来て喜んでいただけるんですね。ブランクはあったけど、本当にこの世界に戻ってきて良かったなと実感してます。
【中将】 そのなかで今年、『月影のTOKYO』(1980)が、『月影のTOKYO(NEW TOKYO MIX)』というニューバージョンになってリリースされました。これはどんな経緯で誕生したのでしょうか?
【篠塚】 最近はDJイベントに呼んでいただくことが多いのですが、そこで今回のアレンジを担当したコモエスタ八重樫さんにご紹介いただいたんです。私のことをずっと気にかけていただいてたそうで、何かやりましょうとすぐに形になりました。制作もやりやすくて、とても楽しいお仕事でしたね。