歌手・作詞家・ものまねで一世風靡 篠塚満由美が本格復帰! スタ誕デビュー事情や山口百恵との秘話も | ラジトピ ラジオ関西トピックス

歌手・作詞家・ものまねで一世風靡 篠塚満由美が本格復帰! スタ誕デビュー事情や山口百恵との秘話も

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【篠塚】 それまでは自分が歌うために作詞作曲していたんですが、あるとき、バンドのプロデューサーだった荒木一郎さんに曲を持って行くと「いい曲だと思うけど、お前たちのバンドでやっても売れないと思う。今、桃井かおりのプロデュースをしているんだけど提供してくれないか」と言われたんですね。それが『私の心はクロスオーバー』(1978)という曲でした。

【中将】 それからあれよという間に時代のときめくアイドル、アーティストたちに作品を提供されるようになりますね。

【橋本】 作詞家デビューの経緯もかっこいいけど、提供してる方たちもビッグネームばかりですごいですよね。

【篠塚】 運が良かったと思います。作詞家を始めてすぐ『スター誕生!』の同窓会があって、百恵ちゃんに近況を話していたら「じゃあ今度私にも書いてよ」と言ってくれて。

【中将】 百恵さんと篠塚さんはほとんど同期だから知り合いだったわけですね。数々の作品を手がけておられる篠塚さんですが、松本伊代さんの『太陽がいっぱい』(1983)はその代表作の一つと言っていいかもしれません。

【篠塚】 それまで私は中森明菜ちゃんに歌詞を書いていて、伊代ちゃんは同じ事務所の康珍化が担当していたんですね。あるとき、康珍化が指名されて『北ウイング』(1984)を書くことになったので、代わりに私が伊代ちゃんに書いたのが『太陽がいっぱい』でした。

【橋本】 篠塚さんはどんなふうに歌詞を思い付くんですか?

【篠塚】 曲が先に来ることが多いので、それを何度も繰り返し聴くことから始めます。そしてイメージが固まってくると、その情景を絵に描いてみるんですよ。たとえば明菜ちゃんの『カタストロフィの雨傘』(1982)だと坂道に銀色の雨が降っていて、マロニエがあって、そこに女の子が傘をくるくる回しながらぶすっとした顔で立ちすくんでる……そんな絵を描きました。それを見ながらまたストーリーを広げていくんです。

【橋本】 絵を描きながら作詞するのって初めて聞きました!

【中将】 聞けば聞くほどアーティスティックな篠塚さんですが、その後なぜものまねタレントとして活動されることになったんでしょうか?

【篠塚】 もっと若い頃に『象印スターものまね大合戦』(NETテレビ=テレビ朝日)や『せんみつ・湯原ドット30』(TBS)でものまねをやっていたことはあったのですが、それをメインでやるようになったのは1982年にケントスでゆたかさんが岡田志郎さん、エド山口さんたちとやっていた林ゆたか&パームスプリングスに加入したのがきっかけでした。

ライブを観に行ったら、ゆたかさんに「作詞家で忙しいのはわかるけど、人前に出てないとブスになるぞ」って脅されて(笑)。結局ボーカルをすることになったんですが、オールディーズばかりじゃなくて、懐かしの歌謡曲みたいな曲もレパートリーだったんですね。それで、ちょっとマニアックなんですけど泉アキさんの『夕焼けのあいつ』(1968)のアウトロで「帰って来て~!」と本人さながらに叫んでいると評判になって、岡田さんからコロッケさんの所属事務所の社長に紹介されたんです。

【橋本】 YouTubeで当時のネタを見て爆笑しました(笑)。歌はもちろんお上手だし、芸もすごく細かいなって!

【篠塚】 奥村チヨさんや桂銀淑さんとかね、本人のちょっとしたクセを強調していじくり倒していくとああなるんですよね(笑)。

【中将】 普通のものまね芸人だと、売れるまで真似してる本人に会ったことがなかったりするけど、篠塚さんだと逆に知り合いだらけじゃありませんでしたか?

【篠塚】 そういうことはたくさんありましたね。本人や事務所から「ものまねして欲しい」とお願いされることもありました(笑)。

【中将】 『ものまね王座決定戦』(フジテレビ)で「ものまね女四天王」と呼ばれるようになり、ものまねタレントとして一世風靡された篠塚さんですが、1994年には本業の歌手業でも世界名作劇場のアニメ『七つの海のティコ』(フジテレビ)のオープニング曲「Sea loves you」、エンディング曲「Twinkle Talk」を担当し話題になります。

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