《阪神・淡路大震災29年》震災を知らない世代「未来の神戸、創りたい」曽田みなみさん・山本小湖さん | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《阪神・淡路大震災29年》震災を知らない世代「未来の神戸、創りたい」曽田みなみさん・山本小湖さん

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 神戸は「美しくて、おしゃれ」。神戸港を中心とするウォーターフロントを眺め、北野町の異人館や、元町の旧居留地といったレトロな建物を見て、港から海外文化を取り入れ、栄えてきた街というイメージを持つ。

2024年春のリニューアルオープンを前に、2年3か月ぶりにライトアップした神戸のシンボル・ポートタワー<2023年12月21日>
神戸市街地 リニューアル後のポートタワーが鮮やかに<2024年1月12日撮影>

 しかし、29年前の1月17日、この美しい神戸が一瞬にして崩れた。神戸だけではない。多くの人々が生活する阪神間や震源の淡路島も、瞬く間に破壊された。

ポートアイランド上空から撮影した神戸市長田区方面<1995年1月17日撮影 ※画像提供・神戸市>

 神戸の生活雑貨通販大手・フェリシモに務める2年目の山本小湖さん(24)と、3年目の曽田みなみさん(25)。2人とも、阪神・淡路大震災を直接経験していない、「知らない」世代。

 物心ついたころには「すでに起きた出来事」としての認識はあった。しかし、日が経つほどに過去のものとなってゆく。風化させてはいけない気持ちはあるが、“伝える使命感”は芽生えてこなかったという。

 こうした中、2024年の元日に「災害は他人事ではない」と感じる出来事が起きた。能登半島地震。前年(2023年)、新型コロナウイルスが感染法上の分類で5類となり、4年ぶりに規制のない年末年始を過ごそうとした矢先だった。

 この日、2人はそれぞれ海外にいた。

曽田みなみさん(左)と山本小湖さん フェリシモ「500色の色えんぴつ TOKYO SEEDS」をバックに

 山本さんはヨーロッパ旅行をしていた。家族は気遣い、能登半島地震のことは知らせなかった。フランスからベルギーへ向かう列車の中で、さまざまな人が発信するX(旧・ツイッター)を見て地震を知ったという。石川県内に住む友人がひんぱんにSNSをアップするのに、全く更新されない。ようやく1週間後に更新されて安心したが、「災害は時と場所を選ばない」ことを思い知ったという。

 曽田さんも友人とオーストリアへ旅立ち、トランジットのためベトナム・タンソンニャット空港で待機していた。石川県出身の友人のインスタグラムにアップされた実家の様子を目にして、能登の地震を知った。幼いころに起きた東日本大震災の記憶は少しあったものの、「いつ、どんな場所にいても日本は地震から逃れられない」。いたたまれない気持ちになった。

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 「神戸は震災復旧のために都市開発が後回しになったのかな」と考えていた山本さん。神戸から北西に離れた兵庫県加東市で生まれた。生粋の神戸人でないからこそ、冷静に被災地としての神戸を見ることができるのかも知れない。

 山本さんは「神戸は関西のひとつの都市として機能しても、日本の都市としては遅れを取っているのではないか、大きな転換が必要だ」と考えている。メリケンパークの整備など少しづつ変わりつつあるのはわかっていても、核となるような空間がないことに物足りなさを感じるという。神戸出身の友人が「神戸より、東京で働きたい」と話したことも印象深かった。

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