【橋本】 すごくポップな曲調だけど実は駆け落ちの歌なんですね(笑)。
【中将】 清々しいくらいにポップだしパワフル(笑)。それまでの曲だと「お母さんごめんなさい」みたいなこと言っちゃいそうだけど、そんな気配はみじんもない。親の意志ではなく男女が自由に恋愛、結婚できる時代が訪れたというわけですね。
【橋本】 今では自由すぎて駆け落ちなんて話を逆に聞かなくなりましたよね。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
【中将】 さて、ここからはゲストをお迎えしてお届けしたいと思います。いつもお世話になっているザ・タイガースの瞳みのるさんです。(※『君だけに愛を』《1968》が流れる)

【瞳みのる(以下「瞳」)】 こんにちは、瞳みのるです。
【橋本】 どうぞよろしくお願いします。
【中将】 今回は1970年前後の音楽やカルチャーにスポットを当てた内容なのですが、もちろん僕たちは生まれてもいない時代です。そこで当時、バリバリの若者だった瞳さんにリアルな当時の状況をお話いただきたいと思っています。たとえば……十代の頃、瞳さんはどんな遊びをされていましたか?
【瞳】 京都時代(※1966年まで)は河原町や祇園界隈をブラブラ歩くというのが多かったですね。他には四条河原町にあった田園というダンス喫茶に行ったり。どちらかと言うとちょっと不良っぽかったんですかね(笑)。そもそも当時はエレキギターを弾いたりバンドしていたりするだけで不良扱いですからね。
【橋本】 そうだったんですか!
【中将】 当時の瞳さんのファッションはどんな感じだったんですか?
【瞳】 アイビースタイルです。ブランドで言うとVANとかJUNですね。
【橋本】 アイビーって?
【中将】 当時流行していたアメリカ由来のファッションです。ボタンダウンのシャツを着て比較的シュッとしたスタイルの……。
【瞳】 そうそう、先の丸いスリッポンを履いたりしてね。でも後からバンドに入ってきた沢田研二は先のとがった靴を履くんですよ。不良っぽいんじゃなくてヤクザっぽい(笑)。
【中将】 沢田さんだけちょっとファッションの方向性が違ったんですね(笑)。デビューして東京に行かれてから(※1967年~1971年)はガラッと環境が変わったと思うんですが、どんな遊びをされてましたか?
【瞳】 やっぱりゴーゴー喫茶やディスコのような所によく行きました。赤坂のビブロスとかね。当時はダンスが流行ってましたから。
【橋本】 ダンスができるお店って、一回入るのにどれくらいのお金がかかったんでしょうか?
【瞳】 場所によって全然違ったですね。具体的な金額とかは覚えてないけど、ビブロスは高かった。





