【橋本】 今は逆に「〇〇ハラスメント」と言われることが増えすぎておかしくなっちゃってますが、それでも昔よりはいい環境になってるんですね……。
【中将】 瞳さんは1970年頃と現在、どっちがいいと思われますか?
【瞳】 回顧主義はないんだけど、当時は社会が沸騰しているような熱気がありましたね。僕たちタイガースも出演したけど、大阪万博はその象徴だったと思う。それがいいのか悪いのか……もう遠すぎて忘れてしまったことも多いから(笑)。
【中将】 55年前のことですからね(笑)。でも今回は本当にありがとうございました。また一杯飲み行きましょう!
【瞳】 はいはい、よろしく(笑)。
【橋本】 貴重なお話を聞かせていただきました。当時のダンス文化とかとても興味深かったです!
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【中将】 さて、ここからはまた二人でお話していきたいと思います。瞳さんは1965年から68、69年頃まで続いたグループサウンズブームのど真ん中にいた方ですが、同じ頃、フォークも若者の間で人気を博していました。初期はアングラで政治的な主張の激しいものでしたが、次第にポップス化していったのが1970年以降。中でも吉田拓郎さん、井上陽水さんの楽曲は高い評価を受けました。ということで、次は陽水さんの『傘がない』(1972)。
【橋本】 社会ではいろんな問題が起こっているけど、今自分にとっての問題は傘がないこと。ユニークな切り口ですよね。
【中将】 ポップス化したけど内容が薄まったんじゃなくて、より洗練された深みのある音楽になったんですね。いろんな捉え方ができて、従来よりも現代的なポップスの歌詞にぐんと近づいてます。
現代に近づくという点ではこの時期、アイドルシーンにも大きな変革がもたらされます。まずはこの曲、天地真理さんで『水色の恋』(1971)。
【橋本】 私、天地さんのことって全然知らなかったです! 現代的なアイドルのはしりなのでしょうか?
【中将】 はい、人気ドラマ『時間ですよ』(TBS)に出演してブレイク。デビュー曲『水色の恋』以降、大ヒットを連発して、文房具、おもちゃ、果ては自転車などの”まりちゃんグッズ”なるものまで発売されました。10代、20代の若者はもちろん子どもたちからも支持されたんですね。
【橋本】 どうやって子どもたちも巻き込んでいったんでしょうか?
【中将】 キャッチフレーズが「白雪姫」だったんですが、徹底的なぶりっ子でメルヘンチックなキャラクターを作り出したんです。歌ってる合間に親衛隊みたいなファンが“真理ちゃんコール”を入れたり、この人が作り出したアイドル像は現代も踏襲されていると思います。
そして真理さんの登場からほどなくして男性アイドルシーンにも変革が起こります。その1人、郷ひろみさんの『男の子女の子』(1972)。





