【中将】 あそこは業界人御用達みたいなイメージですもんね。
続いて音楽方面のお話を聞きたいと思います。瞳さんが音楽の道に進むきっかけはプラターズの『You'll Never Never Know』(1962)だったそうですね。
【瞳】 はい。岸部一徳と僕は北野中学の同じクラスのクラスメイトとして知り合って、同じ音楽好きで意気投合したんですね。そして彼の部屋のレコードプレイヤーで覚えたこの曲を修学旅行のバスで一緒に歌ったんです。僕が高いパートで、彼が低音の「You'll Never Know~♪」というパート。それを京都から東京に行くまでの間に何度も何度も歌った。そんなことがあって一緒にバンドを結成することになったんです。
【中将】 このR&Bの名曲が後のザ・タイガースを生んだを思うと面白いですね。当時は現代よりも洋楽人気がはるかに高かった時代。きっと瞳さんも多くの洋楽を聴かれたと思います。次に紹介するのは、当時を代表する洋楽の大ヒット曲。ザ・ビートルズで『Let It Be』(1970)。
【橋本】 名曲ですね!
【中将】 1962年のデビューから1970年の解散まで、1960年代はビートルズが若者たちを牽引した時代と言っていいと思います。瞳さんはビートルズはよく聴かれましたか?
【瞳】 そうですね。初めて聴いたのは大丸京都店の屋上に置いてあったジュークボックスで。たしか『I Want To Hold Your Hand』(1963)でした。
【中将】 ビートルズは音楽のみならず、人間の自由や、平和の尊さをうったえる思想面のオピニオンリーダーとしての役割も果たしましたね。
【瞳】 僕もジョン・レノンに共感する部分は多かったです。今またあの頃のように世界中で戦乱が起こっていますが、何かしなくてはいけないという思いがあります。
【中将】 そうですね。そう言えば、当時と今ではパワハラ、セクハラといった感覚やジェンダーの感覚は大きく変わりましたね。
【瞳】 全然違いますね。ドメスティック・バイオレンスと言うのは普通にありましたし、黒人などに対する人種差別もひどかった。そんな中で注目されたのがキング牧師の「I Have a Dream」のスピーチだったりします。
【中将】 当時、瞳さん自身がパワハラを受けるようなことはありましたか?
【瞳】 教員時代には数えきれないほどあります(笑)。ハラスメントに対する改善は始まりつつあったけど、今と比べるとはるかに無神経な時代でした。





