幕府と朝廷の融和(公武融和)を象徴する出来事であり、互いの紋を指して“菊(天皇家)と葵(徳川幕府)”の融和とも呼ばれる。
天皇が御所を出て武家の元へ足を運ぶことは、極めて稀な出来事だった。朝廷と幕府の融和を世間に知らしめた行幸が与えたインパクトは大きかった。
そして、武家諸法度の制定や鎖国の完成といった強固な幕藩体制が築かれる一方、京都を中心に、公・武・民が融合した独自の「寛永文化」が花開く。
大阪夏の陣から11年。「もはや戦いの世ではない」という時代に、商人や町衆が文化を支えた。




「二条城行幸図屏風」は、六曲一双(※)で縦1.5メートル、幅7メートル。
上段と下段に分かれ、上段に堀川通を描き、二条城へ向かう天皇・中宮ら朝廷方、下段に御所を出て中立売通を西へ参内する将軍・大名ら幕府方を配している。
行幸は、家光の先導で全国の大名らが追従し、「一日晴(いちにちばれ)」と呼ばれる特別な衣装をあつらえて臨んだ。
この中に人物が3226人描かれている。うち約2000人は行幸を観覧する京の町衆や、諸国から詰めかけた人々だ。

泉屋博古館の実方葉子・学芸部長は「描かれた人数は丁寧に何度も数えた」と振り返り、「屏風の主役は朝廷と幕府なのだが、観る人々の服飾や所作など、風俗的な要素を伝えている」と指摘する。


中立売通や堀川通に設けられた桟敷や柵の中で、各人が持ち込んだご馳走や酒をたしなみ、宴に興じる人々。僧侶も家族連れも行幸を楽しんでいる。沿道の一部では場所の取り合いか、取っ組み合いの大喧嘩も始まった…。
熱気と人間ドラマを緻密に表現した屏風は、観る人を飽きさせない。


◆泉屋博古館
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◆泉屋博古館 オフィシャルサイト
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◆寛永行幸四百年祭 オフィシャルサイト
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