【ピンチをチャンスに】『ノックは無用!』『金スマ』などで脚光 神戸の老舗帽子メーカー・マキシンが切り開くまさかの新境地 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

【ピンチをチャンスに】『ノックは無用!』『金スマ』などで脚光 神戸の老舗帽子メーカー・マキシンが切り開くまさかの新境地

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 職場・学校・家庭と人生の様々な場面で思わぬ落とし穴に落ちることがあるもの。そんなときに、「このピンチをどうやって乗り越えればいいのか」、さらには「ピンチをチャンスに変えることができればいいのに」と誰もが一度は思ったことがあるはず。

 ラジオ番組『ピンチのあとにチャンスあり!』(ラジオ関西)では、そんな幾多のピンチをそれぞれ逆転の発想、挑戦する姿勢で乗り越えてきた、ひょうご・関西の企業経営者たちにスポットを当て、逆転の発想、挑戦する姿勢を生み出すヒントを探った。

 神戸市中央区に本社をおく帽子メーカー、株式会社マキシン取締役・営業本部長の柳憲司さん。創業から帽子一筋の老舗企業で、関西ではテレビ番組『ノックは無用!』(関西テレビ、現カンテレ)で、その名を聞いたことがある人も多いかもしれない。そんなマキシンは阪神・淡路大震災と新型コロナウイルスという2度の大きなピンチに遭遇している。いかにピンチを乗り越え、チャンスに変えていったのか、話を聞いた。

株式会社マキシン取締役・営業本部長の柳憲司さん

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 1940年に創業したマキシンは、帽子製造および主に百貨店向けに卸販売を行っている。横浜の帽子店に勤めていた創業者が、神戸の異国文化を取り入れて帽子で事業をやりたいと思ったことが会社の始まりだ。会社名のマキシンは、ラテン語の『最高のもの最上のもの』という意味の『マキシマム』から来ており、最高の素材と技術で、最高の商品を作ろう、という思いが込められている。

神戸三宮・トアロードにあるマキシン本店
JAL、ANA、JR西日本・東日本など国内各社の制帽を手掛けてきた。1970年の大阪万博ではスイス館のオフィシャルハットも受注

 実は、柳さんは九州の百貨店「井筒屋」で15年半勤務した経験を持ち、それまでは全く神戸に縁もゆかりもなかった。外商部で外回りの営業をしていた際に、豪華客船「飛鳥」での仕事がマキシンとの出会いに。「そこに同乗していたマキシンのお嬢さんと初めて出会った。彼女の誕生日が12月28日、私が勤めていた会社は井筒屋(1228=いづつや)ですし、私が乗っていた車のナンバーも『1228』。私の方が運命を感じてかなり盛り上がってしまいました」。デートや家族との食事会を重ね、2人は自然と結婚の流れになった。

 結婚後、柳氏は2009年、マキシンに入社。物怖じしない、明るい性格と外回りの営業の経験があったことで、初めて飛び込む帽子の世界に不安はなかった。

「私が感じたマキシンの魅力は、やはり職人の方が切磋琢磨して一つひとつハンドメイドで帽子を作っているところです。お店と工房を併設しているのも特長ですね。婦人帽子をずっとメインで作ってきましたが、私が来てからはメンズハットも作りました」

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