太平洋戦争末期に沖縄県知事となった島田叡(しまだ・あきら)を萩原聖人が演じる、映画『島守の塔』が神戸で8月5日(金)から公開されます。
1945年1月末、神戸出身で内務省官僚の島田叡に、知事として沖縄県へ行くよう辞令がありました。
「沖縄へ行くんは、死に行くようなもんです」(妻)
「俺は死にたくないから誰かが行って死んでくれ、とはよう言わん」(島田)
当時の知事は選挙で決まるのではなく、国が選んでいました。島田は家族を残してひとりで那覇に向かい、知事に就任します。
アメリカ軍の空襲で街は大きな被害を受けていました。
沖縄に着いた島田を、同じ内務官僚で沖縄県警察部長の荒井退造が迎えます。荒井は、県民の命を守ろうと少しでも安全な土地へ子どもたちを疎開させる取り組みを進めていました。
「疎開のためにそれぞれの職域を越え、ともに一致団結してがんばりましょう」(荒井)
「チームワークや」(島田)
島田は、県民の疎開を進めつつ、台湾からコメを大量に確保するなど食料不足解消に奔走します。
4月、アメリカ軍が沖縄本島へ上陸し、日本軍の戦いは沖縄県民を巻き込む激しい地上戦となります。
知事を支えるのが沖縄県の職員・比嘉凛です。彼女は日本が戦争に勝つと純粋に信じ、島田や荒井とともにガマ(自然洞窟や防空壕)を移動しながら行政の仕事を続け、住民を守ろうとします。
戦禍が激しくなるにつれ、県民が戦闘に巻き込まれ命を落とします。島田は住民を守ることを第一に進めたいのですが、軍から理不尽な要求を受け、男子中学生を鉄血勤皇隊として戦場へ動員し、女子生徒をひめゆり学徒隊として看護に向かわせました。
島田は自分が知事として軍の論理を優先し、県民を戦意高揚へと向かわせているのではないかと、板挟みになって苦しみます。
戦争中の日本の教育で、捕虜になるよりも自決することが美徳とされた時代ですが、島田は「生きろ! 生きてくれ!」と言い続けます……。
第二次世界大戦末期の歴史に基づいた作品です。
沖縄戦では沖縄県民の4人に1人にあたる20万人以上が犠牲になったとされます。沖縄県糸満市の平和祈念公園にある摩文仁の丘には慰霊塔「島守の塔」があって、兵庫県出身の島田叡と栃木県出身の荒井退造の名前が刻まれています。本土の内務官僚ながら、沖縄の人々の命を守るため力を尽くした人物として名前を記され、慰霊の対象になっています。