神戸出身の作曲家、大澤壽人(1906~1953)が作曲した『ベネディクトゥス幻想曲』が、没後70年の今年(2023年)、大澤生誕の地・神戸で演奏された。
その舞台は、開館50年を迎えた神戸文化ホール(神戸市中央区)。5月19日に開催された「ガラ・コンサート『神戸から未来へ』」で、”幻の名曲”に息が吹き込まれた。
”ガラ(gala)”とはスペイン語で祝祭の意。“ガラ・コンサート”は、「特別公演」 「祝賀演奏会」として位置付けられる。
『ベネディクトゥス幻想曲』は大澤が死去した翌月、ラジオ番組の公開録音のために大阪・朝日会館(中之島)で演奏された記録があるが、コンサート形式の公演としては世界初。しかも故郷・神戸での凱旋となった。
”ベネディクトゥス”は、ラテン語で「祝福があるように」の意味。太平洋戦争末期の日本で、大澤は平和への思いを胸に、人知れずこの曲を書いた。自筆の譜面には1944(昭和19)年5月の作曲と記されている。
大澤は、太平洋戦争終戦前年の本土を襲う空襲、多くの人々が命を落とす中、人間同士の争いを嘆いた。当時はクラシックコンサートなどという興行が許される時代ではなかった。戦後になって、本人の指揮でラジオ放送向けに2度、演奏されているが、コンサートホールで多くの聴衆へ向けて演奏されていたわけではなかった。
低く、落ち着いた曲調で始まり、ヴァイオリン・ソロの切ないフレーズに続いて、「神の名のもとに来られる方に 祝福がありますように」「いと高きところに栄光あれ」と、混声合唱による祈りの言葉が繰り返される。
没後、半世紀以上忘れ去られていた大澤だが、残した作品に日本と西洋の融合や、時代を先取りしたモダニズムが再評価されたのが21世紀に入ってから。
関西学院在学中に作曲家を志した大澤にとって、留学先のボストンやパリでその才能が開花していく。特に1933(昭和8)年にパリで開いた演奏会には、アルテュール・オネゲルやダリウス・ミヨーという、20世紀前半に活躍した”フランス6人組”をなした大作曲家が訪れた記録もあるほど、当時の日本人作曲家としての成功は異例だった。
帰国後、大澤は戦時中の困難を乗り越えるべく、芸術家としての信念を貫き、音楽で人々の”心の復興”を目指した。ラジオ番組からヒットした唱歌や映画音楽など、幅広いジャンルで精力的に作曲活動を続け、残した作品は作曲・編曲含め1千近くにのぼる。
しかし大澤は47歳で急逝する。それが戦後まだ8年という時期で、西洋音楽の事情に通じた識者も少なく、その才能は正しく評価されなかった。