まだまだ日本にロックが浸透していなかった1970年代。しかし、熱いロック魂を持った若者たちはさまざまな音楽シーンにロックを持ち込み、その魅力を大衆に伝えていきます。今回は意外にロックだった1970年代のアイドルたちについて、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が紹介します。
※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2023年6月23日放送回より
【中将タカノリ(以下「中将」)】 前回の放送は6月9日=「ロックの日」ということで、1970年代のロック歌謡にご紹介しましたが、今回6月23日の放送もまだまだ「ロック月」ということでロックな話題をお送りしたいと思います。今回は「70年代アイドルはロックだった」というテーマで語ってまいりましょう。
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 なるほど! そうだったんですね!
【中将】 ザ・タイガース出身の「ジュリー」こと沢田研二さんはもちろん、新御三家でも西城秀樹さんや野口五郎さんはかなりロックなんです。もちろんシングルで洋楽みたいなロックを出しても売れる時代じゃないので、ライブでカバーしたり、楽曲や歌い方にちょっとロックなニュアンスを入れてみたり……アイドルのみなさんは涙ぐましい努力でなんとかロックっぽい表現に挑んだわけですね。
【橋本】 “ロックっぽい”というのがポイントですね!
【中将】 その通り! そんな楽曲の1つが、沢田研二さんの「許されない愛」(1972)。
【橋本】 ロックと言ってもギターでジャカジャカみたいな感じじゃないんですね。予想以上におとなしいというか……この曲のどこらへんがロックなんでしょうか?
【中将】 沢田さんがこの曲に至る経緯からお話したほうがいいですね。沢田さんは1971年1月のザ・タイガース解散後、萩原健一さんや井上堯之さん、大野克夫さんらグループサウンズの人気者、実力派のみなさんとPYG(ピッグ)というグループを結成します。当時、ニューロックと呼ばれるイギリス系のロックが注目されていて、これまでのアイドルバンドとは違う路線で頑張ろうとしたんだけど、これが売れなかった。
【橋本】 え! 人気者ばかり集めたのに?
【中将】 単に人気ある人や才能ある人を集めたら売れるわけじゃないというのが芸能、音楽の難しさですね。それに、当時は本格的なロックがまだまだ一般には受け入れられる時代じゃなかった。それでPYGは1年そこそこで自然消滅してしまうんです。
そんなことがあって、沢田さんはあらためてアイドル路線に軌道修正。1971年11月に「君をのせて」というシングルでソロデビューするんですが、これが実にムーディーでスタンダードなバラードで、沢田さん自身も「自分がこれを歌うのか!」と戸惑ったそうです。それからの「許されない愛」なので、表立ってロックはできないけど、いかにさりげなくロックみを込めるかという工夫が随所に見られるわけです。白人系ソウルっぽいホーン、ギター、キーボードのからみとか、キーを高めにしたシャウトぎみな歌い方とか。