冬グルメ・おでん 実は「意外なモノ」から派生 かつては“つゆなし”だった? 歴史や語源を調査 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

冬グルメ・おでん 実は「意外なモノ」から派生 かつては“つゆなし”だった? 歴史や語源を調査

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 朝晩の冷え込みが身に染みる今日このごろ。いよいよおでんのシーズンど真ん中を迎えつつあるわけですが、筆者はある疑問を抱いています。それは「様々な具材を鍋に集め炊き込むにもかかわらず、なぜ“何々鍋”というように鍋の名を冠さないのか」ということ。

 そこで、おでんの謎について練り物製品の製造・販売を行う『紀文食品』(東京都)に話を聞きました。

おでんの謎について調査した

☆☆☆☆

 同社によると名前の由来には諸説あるそうですが、竹串に差した豆腐にみそを塗って焼く「田楽」が元になっているという説が有力とのこと。

「田楽とは、もともと笛や太鼓のリズムに合わせ舞った田植え時の豊穣祈願の楽舞のこと。拍子木型に切った豆腐に串を打って焼くというその形が、その舞に似ていることから田楽と名づけられたようです。これを宮中などに仕える女性たちが『お田楽』と呼び、そこから『おでん』へと変化していったのだと思われます」(紀文食品)

 田楽が登場した当初の食材は豆腐のみでしたが、江戸時代になるとナス・里いも・こんにゃく・魚と種類も増え当時の庶民にはファストフードのような感覚で広く親しまれていったのだとか。

おでんの語源は「田楽」だった

 では、我々に馴染みのある“おつゆたっぷり”の姿になったのはいつ頃なのでしょうか?

「しょうゆ作りが盛んになった江戸時代後期がターニングポイントです。味噌焼きでなくしょうゆ味で煮ふくめたおでんが生まれたという説と、そもそも同時代に煮込みおでんは存在しない.....というふたつの説があるそうです。ですが、いずれにせよ今のようにだし汁たっぷりではなかったよう。明治期になり、汁気が多いものに進化したと聞いています」(紀文食品)

 江戸で生まれアップデートされたおでんは東京の料理人によって大阪に伝えられ、さらなる改良が加えられました。

 ちなみに関西でおでんが“関東炊き”と呼ばれるのは、持ち込まれた際に田楽と区別するためそう呼んでいた名残りなのだとか。かつて屋台などで提供される外食メニューでしたが、家庭でも作られるようになったのは昭和に突入してからの話だそうです。

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