番組内容

わたしたちが暮らす街には、実はとっても深い歴史や文化があります!

神戸のヒストリアン田辺先生が語る「目からウロコ」のレクチャーや、神戸のピアニスト天宮遥の生演奏をまじえた日曜の朝の爽やかな情報ワイド番組です。

 

5月と言えば薔薇!

ということで薔薇にまつわる様々なお話をメッセージ頂きました。

新婚時代のご両親のお話。お母さんが薔薇の花を活けたのを見て、お父さんが「綺麗なチューリップやなぁ。」と言ったというメッセージには大爆笑。家族でそんな思い出話ができるって、きっとあったかいご家庭なのでしょうね。

 

真っ白な衣装に靴、胸に赤い薔薇という姿で喫茶店に現れたお見合い相手の男性。恥ずかしくて逃げるように帰り、当然その話は断ることに!赤い薔薇を見る度にそのことを思い出すそう。その男性、気分は既に披露宴だったのでしょうかね(笑)

 

毎年奥様の誕生日に薔薇の花束を贈られている方。

もう当たり前のようになり、マンネリかな?とおっしゃっていましたが、きっと奥様は毎年毎年幸せな思いに浸ってらっしゃることでしょう。贈った薔薇の数だけ愛情も熟成されているはず。還暦に薔薇の花束を贈り2度目のプロポーズをされるなんて、素敵ですね。優しい笑顔も添え川柳も添えて下さいね。

 

差し木をしてお友達に分けています。コンサートで舞台から投げてもらった一輪の薔薇を、ドライフラワーにして大切にしています。亡くなったおばあちゃんが薔薇を大切に育てていたことを思い出しました!というあったかいメッセージも頂きました。

 

薔薇というキーワードでみなさんと様々な話題を共有できて、楽しかったですね。短い命を精いっぱいに輝かせている個性豊かな薔薇の花達の交響曲もクライマックスを迎えています。

 

田辺先生は、数々の表彰で花束を頂いてらっしゃいますが、薔薇の花は差し木にしてらっしゃるそうです。先生宅の庭で美しく咲いているようですよ。優しい一面をまた垣間見た気がします。

 

私は昨日、西宮の柏堂という所(甲山の西側)にある北山緑化植物園に薔薇を見に行ってきたばかりです。

「モーツアルト」、星の王子様の薔薇「エモーション・ブルー」、ナポレオンの帽子という意味の「シャポードゥナポレオン」万華鏡という意味の「カレイドスコープ」等、たくさんの種類の花を撮影しました。併せてご覧ください。

左がモーツァルト

星の王子様の薔薇「エモーション・ブルー」

ナポレオンの帽子という意味の「シャポードゥナポレオン」

万華鏡という意味の「カレイドスコープ」

田辺眞人のラジオレクチャーパート1

さて、今日5月24日は699年に役小角(えんのおずぬ)が伊豆大島に流罪となった日です。

続日本紀の中にも出てくるので、実在した人物ですが、色んな尾ひれがつき伝説・伝承がたくさんあるようです。

近畿一円にも、役小角が開いたと言われている行場が数多くあります。

例えば、布引の滝もそうです。他にも箕面の滝、大峰山、吉野の金峰山などがあげられます。

 

役小角が生まれたのは舒明天皇6年(634年)。聖徳太子が亡くなって12年目という頃に生まれ、17歳の時に寺に入り、呪術を学びます。

葛城山(金剛寺)、熊野、大峰山で修業。吉野で修業した時には蔵王権現が現れたと伝えられています。

蔵王権現とは髪の毛を逆立て、怖い顔をして体をくの字型に曲げたようなかっこうで、岩の上に立っている姿の仏様です。

蔵王権現が祀られているという大きな拠点に蔵王という名前がついた山があります。どうも、像のインスピレーションから考えると“雷”のよ、に思えます。

西宮の目神山で修業をしていた時には弁財天を感得した、布引の滝でも蔵王権現を見たといいます。こうして、色んな山で修業しながら滝や岩場を行場として開発して行ったと伝承されていますが、一人でそんなに多くのことが出来るわけはなく、名もなき行者のしたことを役小角がしたというかっこうでまとめ上げたのでしょう。

六甲山の一番高い所にある心経岩~雲が岩一帯を守護したとか、20代の頃には藤原鎌足の病気を治したという伝説まであります。

この様に不思議な力を持っていた役小角は、他の行者らに妬まれ、文武天皇3年(699年)5月24日に人々を惑わせているけしからんと伊豆大島へ流罪となってしまうのです。

でも、流刑先の伊豆大島から毎晩海上を歩いて富士山へ登ったという言い伝えもあります。

2年後の大宝元年(701年)1月の大赦で奈良に帰るも、同年6月7日に入寂。

 

その肖像は、痩せ型の老人で、頭に頭巾を被り、一本歯の高下駄をはいて、右手に巻物、左手に錫杖を持ち、鉞を持って藪を切り開く前鬼(ぜんき)、今でいうナップサックの笈(おい)を背負う後鬼(ごき)と一緒に描かれています。

お稲荷さんにはきつね。日吉神社には狛犬、行場には鬼なのです。

 

田辺眞人のラジオレクチャーパート2

今日5月24日はヴィクトリア女王(1819年5月24日~1901年1月22日)の誕生日でもあります。

女王在任は1837年~1901年までの64年間でした。この時がイギリスはピークの時代、ヴィクトリア朝時代です。

「世界は英国の農場であり、英国は世界の工場である。」と言われました。

イギリスでは女王の時代に発展するという言い伝えがあります。エリザベス1世は結婚せず「自分は英国と結婚している。」とプロポーズも断りました。

でも、ヴィウトリア女王はアルバートという旦那さんがいました。

イギリスの文化圏で19世紀に植民地であった所に行くと、ヴィクトリアの名前があります。たとえば、ヴィクトリア州、オーストラリアに行ったらクイーンズランドという州。このクイーンとはヴィクトリアのことです。大きな町に行くとヴィクトリアストリートという通りがあれば、必ず横の通りの名はアルバートストリートなのです。

 

(文:まとめ久保直子)

 

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年05月24日(日) 15時00分

5月24日の田辺眞人のまっこと!ラジオ

人物事典は199ページ

BBプラザ美術館 学芸員 三國麻衣子さんです。

BBプラザ美術館では、阪神電鉄・開通110年を記念した催し

「神戸の歴史とアートの旅ー近代化の轍」を開催しています。

阪神岩屋駅周辺や、三宮の歴史が感じられる写真、神戸洋菓子文化など、戦前の貴重な資料も含め、およそ200点の資料を展示しています。

開催は6月14日までです。

bbpmuseum.jp/

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年05月24日(日) 14時00分

まっこと!MUSIC

メリーさんのひつじ/クラウン少女合唱団

ヒューバート・パリ―作曲「エルサレム」

  /ジェームズ・ロホラン指揮 BBC交響楽団

シューベルト作曲 「野ばら」

  /天宮遥ピアノ演奏(スタジオLIVE)

エルガー作曲 行進曲 威風堂々 第一番

  /ジェームズ・ロホラン指揮 BBC交響楽団

   (2015.5.24 ON AIR

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年05月24日(日) 13時00分

 5月17日はパック旅行の日です。

1861517にイギリスで世界初のパック旅行が行われました。

 

メッセージテーマは「こんなめずらしいパック旅行に行った!行きたい!」でした。

リスナーの皆さんからは、

宇宙旅行に行きたい!

無重力体験をしたい!

最近旅行に行っていないので是非パック旅行したい!

ラジオ関西のパーソナリティーと行った海外ツアーの楽しい思い出があります!

等々たくさんのメッセージをお寄せいただきました。

  ○

田辺先生はこれまでにも数々のパック旅行のアイディアを提供されたそうです。

これからも楽しいことをたくさん考えてほしいですね。

  

私は、「甘エビ食べ放題の旅」「藤の花&牡丹の名所を巡る旅」といった手軽な日帰りバスツアーや海外ツアーでパック旅行を利用しています。料金も安いし安心感も大きいですね。

    ○

バリ島に行った時、オプショナルツアーで参加した“渓流下り”はとっても楽しかったです。

川の流れが激しく、勢い余ってポーンとゴムボートから弾き飛ばされるように、川の中に勢いよく落っこちました!すかさず現地クルーの方が拾い上げて下さったので助かりました。スリルはありましたが楽しい体験でした。満面の笑顔の写真が物語っています。

    ○

みなさんもきっと今日の放送をお聴きになり、今までの旅行を改めて思い出されたのではないですか?あんな旅もこんな旅もしてみたいと思って頂けたら嬉しいです。

  

 では、今週も田辺眞人のラジオレクチャーをまとめてみます。

   ○

 1861年5月17日にイギリス出身のトーマス・クック(1808年~1892年)が世界ではじめてパックツアーを開始しました。ツーリズムの親と言われている人です。

 ツーリズムを日本では観光と訳しました。国の光を観るという意味の中国の言葉に由来します。その土地ならではのお宝を訪ねるということです。

   ○

 現在、大学には観光学科もありますが、観光の定義は「楽しみのためにする旅行で、元の場所に戻るという条件の移動。」です。

仕事で行くのは観光ではありません。楽しみのためですから、戦争に行くのは違います。元に戻るということですから、引っ越しも入りません。

簡単に言うと”楽しみのための旅”ということになります。

    ○

 1700年頃までは、よっぽど裕福な人でなければ、旅行に行くことはできませんでした。

 1700年代に入ると、日本でも経済が豊かになり、人々が旅行し始めます。

 すると、観光旅行は贅沢だからしてはいけない。という幕府や藩のお達しが出る事態に。

 そこで、物見遊山で行くのではなく、まじめな信仰対象のものだという口実をつけて旅行に行くようになります。伊勢参り、西国三十三ヵ所 四国八十八か所などです。

 信仰を邪魔してはならない。と公に認めてもらえるようになり1700年代に旅行がブームになります。

そのための手引書、観光案内、各名所を木版の絵入りで描いた名所図絵なども広まっていきました。

日本では1700年代後半~1800年代の前半にかなり広まっています。

 宗教的に聖地を巡礼するということはヨーロッパでもありますが、信仰を口実にして旅を楽しみに行くというのは日本の方が早かったということになります。

    ○

 1800年という年を中心に前後30年、1770年~1830年にはイギリスにはじまって産業革命が起こります。社会の階層が分化し、今までの、どんぐりの背比べだったイギリスの農民の中からごく少数の金持ちの実業家たちが出てきます。一方では没落して土地も手離してしまったような人が出てきます。この人達は労働者になっていきます。体一つで働いて給料をもらうのです。

1800年代の半ば近くになってくるとこの労働者の人達にも何かお返しをしなくてはならない、守ってあげなくてはならないという思想が生まれたり、労働組合が出来たりします。福利厚生みたいなことを会社が行い始めます。

    ○

 そんなときにこのトーマス・クックという人はいました。

 この人は貧しい人で、10歳の時に園芸師のもとに修業に出されたのを皮切りに、家具職人、印刷屋などをして勤勉に働きました。

 厳格なキリスト教徒の中に多いのですが、彼は禁酒運動をしていました。

 ある時、この禁酒運動の大会が開かれるため、貧しい人も行けるように働きかけます。

鉄道会社に割引切符を出すよう交渉したらナント応じてもらえたのです。

この時、彼は団体で行ったら鉄道会社が割引してくれる可能性があるということを知ります。

「酒を飲まなくても、もっと楽しいことがある!」と人々に提案し、その後10年ほどのうちに段々と経験を積んでいきます。

 そんな中、1851年に世界で初めて万国博がイギリスで行われます。ロンドンで第1回国際万国博覧会が開催されました。産業革命のあとのイギリスの工業力でガラスが大量に作られます。ちょうど温室のようなビルディングを作りパビリオン、展示会場にしました。英語ではクリスタルパレス、水晶宮殿と呼んだため、第1回ロンドン万博はクリスタルパレス万博、水晶宮博覧会と言われました。

この時にロンドンへ行こう!とイギリスの各地へ呼びかけ、ロンドンの万博を見に行きました。

イギリスの田舎の人達は世界25カ国が参加していたので見に行って感銘を受けます。

    ○

その4年後の1855年に今度は第2回万博がパリで開催されました。

パリ万博へ行こう!と、この時初めてイギリスから出る団体旅行をしています。

    ○

そして、1861517まだ大規模ではありませんでしたが、イギリスのロンドンブリッジ駅~フランスのパリまでの各所を見学するパッケージ旅行の第1号を行っています。

    ○

その8年後の1869年にタイムリーなことに世界の交通で大きなものが2つ完成しました。

太平洋から大西洋までを鉄道で結んだアメリカの大陸横断鉄道。

もうひとつはスエズ運河です。

    ○

そこで、1872年大陸横断鉄道とスエズ運河を使って世界旅行することを計画します。

そのため前年の1871年に子供と2人でトーマス・クック&ソンという旅行会社を設立。

72年にいよいよ世界1周のパック旅行を実現させていました。

    ○

イギリスの港町リバプールから出港して大西洋を渡りニューヨークへ。ニューヨークから3年前に完成した大陸横断鉄道を使ってサンフランシスコへ渡り、そして船で太平洋を渡って日本へやってきます。日本で買ったお土産は、なんと人力車でした!日本の人力車は珍しかったのでしょうね。

ここからまた船に乗って中国へ、さらに船に乗ってシンガポールへ行き、そのままインドに寄ってスエズ運河を通ってイギリスまで帰るという旅でした。

    ○

今でも世界で最も大きな旅行会社であるトーマス・クック・グループ。

外国に行くとトーマス・クックと書いたバスが走っていますよ。

    ○

(文:まとめ久保直子)

  • カテゴリー: 総合
  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年05月17日(日) 15時00分

まっこと!MUSIC

やぎさんゆうびん/斎藤伸子

メンデルスゾーン作曲 交響曲 第四番

  イタリアから 第二楽章

  /ペーター・マーク指揮 マドリード交響楽団

/天宮遥ピアノ演奏(スタジオLIVE)

   (2015.5.17 ON AIR

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年05月17日(日) 13時00分

5月10日からは愛鳥週間

たくさんのメッセージをお送りいただきありがとうございました。

鳥にまつわる楽しいエピソードがたくさん寄せられました。

読み切れないメッセージの束に、田辺先生が「ありがたいですね~!」と目を細めてらっしゃいました。

本当にありがとうございます。ご紹介できなかった皆さんごめんなさい。

○ 

先日、窓を開けようとした瞬間、雀と目が合ってドキッ!としました。
あんなに小さな生き物ですが、目力は強いですね。
いつも利用しているさくら夙川の駅にツバメが巣を作り、行き交う人の群れの中をツバメが飛び交う姿は心を和ませてくれます。

田辺先生のラジオレクチャーで今週もたくさん教えて頂きました。

お話の影響で久し振りに長田神社にお参りすることに!
勿論、ニワトリはいませんでした。鳩がのんびりと広い境内を散歩中でした。

 ○ 

ご神木の下に座って、先生に教えて頂いたお話をおさらいしていたら、

昔の町娘にでもなった気分になって(笑)

参道で売っている出来たてフカフカの「長田の ういろう」を思い出しました。
早速買って帰って、近所のおばあちゃんと一緒に女子会。「美味し~♡」

今週も「田辺眞人のラジオレクチャー」をまとめてみました。

 ○ 

今日から愛鳥週間。19世紀の終わり1894年にアメリカのペンシルバニアで教育長をしていたハブコックさんが5月4日をバードデーと定め「みんなで鳥を見よう。」「傷ついた鳥がいたら助けてやろう。」と最初にはじめました。
この影響を受け、日本でも昭和22年に4月10日をバードデーと定めました。ところが北海道や東北ではまだ寒いことから、1カ月遅らせ5月10日とし昭和25年からは5月10日から1週間を愛鳥週間、バードウイークとしました。

人間が大きな力を持ち、自然を傷つけた為、鳥たちが危機に瀕しています。その代表が兵庫県の豊岡で絶滅から救ったコウノトリ。中国の助けを受けながら絶滅を食い止めている石川県のトキです。

「トリ」という言葉は日本では古くから使われています。
古事記の中には「登」という字と「理」の万葉仮名で「登理」
中国の文字の「鳥」という字に読み仮名で振っていますので、奈良時代から「トリ」という言葉はあったということです。

色んな説があり決定打はないのですが、ひとつの説として、

鳥は飛ぶわけです。「飛ぶ(とぶ)」「翔(かけり)」この「とび」の「と」と「かけり」の「り」とで「トリ」と言ったという説。

あるいは「飛び入る」から「トリ」となった。
「飛ぶ」「り」(接尾語)だという説。

「トリ」は飛ぶだけではなく「止まる」わけです。
「トマリ」から「トリ」となったという説。
 つまり色んな説があるということは決定的な語源説がないということです。

 ○ 

飛行機や気球のない時代、空を飛ぶのは鳥だけでした。

人間は鳥には不思議な力を感じたのでしょう。

たとえば死んだ人の魂が鳥に運ばれて神さんの世界へ行くという発想がもう世界的にあり、その証拠にインカの大きな平地に上空から見たら鳥の跡に見える大地の絵がありますよね。

日本では

ヤマトタケルノミコトが景行(けいこう)天皇の命で日本を統一しろと言われ、出雲へ行き猛々しい英雄を倒して出雲を大和の政権下に入れ、九州の南の熊襲(くまそ)でもこれを倒して大和の政権の支配下に入れ、漸く西の遠征から帰ってきた時に今度は東の方へ行けと言われます。

ヤマトタケルノミコトは関東まで行って帰って来ますが、名古屋の近くまで帰ってきた時に息吹山の神さんの気力に押されて体が弱り、三重県の能褒野(のぼの)というところで亡くなってしまいます。
嘆き悲しんだ人々がヤマトタケルノミコトを葬ったのですが、その古墳の後ろから白い鳥が一羽空へ飛んで行きました。

その鳥が奈良へ奈良へと帰って行き、さらにそこから西の方に出て神さんの世界へ行ったという“白鳥伝説”が古事記の中に書かれています。

弥生時代の遺跡などを見ると、木で作った鳥がたくさん出てきます。空を飛ぶ鳥が人間の魂や神さんの魂を運んで天の上、高天原(たかまがはら)と人の世界とを行き来させてくれることになったら、その鳥に運ばれている神さんがどこへ下りてくるかというと・・・。鳥居ですね。鳥居のもとの形はおそらくは“止まり木”からきたものではないかと思われます。
「トリ」という言葉の語源が「トマリ」という言葉の上と下が残ったという説などは可能性がありそうです。

その他にも鳥に関しては色んな伝説があります。この近辺で一番有名なのは長田神社です。
長田神社には江戸時代の終わり頃にはどんな鳥がいたと思いますか?

それは、ニワトリでした。

 ○ 

幕末に日米修好通商条約で日本が開国すると神戸に居留地が出来ました。

居留地に住みついたイギリス人達が長田神社のことをChicken Templeと言いました。鶏寺です。

明治の初め頃から、長田神社にお参りをして願い事やお祈りをする人たちは鶏を持って行って境内に放し、また願い事がかなえば鶏を持って行って境内に放していました。ですから鶏がたくさんいたようです。

長田神社の古い言い伝えには色々あります。

たとえば、淡路島のある夫婦が皮膚病に罹り悩んでいました。

せんたろうさんとなおさんという若い夫婦が長田神社にお参りして「一生、鶏肉は食べません。」と願掛けをしてお参りをしたら皮膚病が治ったとか、

○ 
長田神社の松林の中にいる鶏を殺したり食べたりしたらいけないという言い伝え。

○ 
あるいは、長田神社の氏子の人が鳩の糞を肥料にして瓜を育てていたら、その瓜の弦にハトの格好をした瓜が実ったという面白いお話があります。
○ 

遡れば、神功皇后が九州遠征から帰り、武庫(むこ)の水門(みなと)、現在の西宮に入り大阪浪速の津に帰ろうとしたところ凪いで船が動かなくなります。

そこで色んな神様を呼び出し、お祈りをしたところ順風が吹いて帆が膨らみます。

その神様の中の、事代主(ことしるぬし)のみこと、という神さんが自分を長田の国にまつれと言ったので神功皇后が側近を派遣して祀ったのが長田神社の起こりであると日本書紀の中にあります。
しかし長田のどこへ神社を作ったら良いかわからない。

その時に事代主という神さんが「長田の里のニワトリの鳴き声のする所へ祀れ!」と言ったと言います。

ですから長田神社とニワトリというのはかなり深い結びつきがあるのですね。

中国では日本で言うニワトリを鶏の字で表していましたので、日本でだけは「鶏」をニワトリと読みます。でも語源的に考えると、家の周りの庭で、一番身近に生息している鳥、飼える鳥ということで「庭鳥」と呼んだのでしょうね。

「コケコッコー!」と時の声を上げる鶏のコンテストもあるようですが、にわとりだけでなく鳥は朝、夜明け直前くらいから鳴きます。

我々は、「もうそろそろ夜明けが近い鳥も鳴いている。」と言いますが昔の人は「鳥が鳴いたら夜が明ける。」と言っていました。

また、時の声を上げる鶏は、“太陽を呼ぶ”と日本人は考えました。天照大神が天岩戸という洞穴に入り出てこなかった時に鶏を鳴かせた。とういようなことも古事記の中に書かれています。

さてこの「コケコッコー!」ですが中国の人は「東天紅!東天紅!」と鳴いていると言います。 
“東天紅”とは、とても良い声で鳴く鳥の名前です。

この様に、鳥のことを考えても色んなお話が周りにあるわけですね。

(文:まとめ久保直子)

 

「田辺眞人のラジオレクチャー」のコーナーは10時20分頃からお送りしています。

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年05月10日(日) 15時00分

5月10日の田辺眞人のまっこと!ラジオ

人物事典は198ページ、川柳作家 門前喜康さんです。

阪神淡路大震災をきっかけに、川柳を始められたという門前さんが

このたび川柳句集揺振摺(ゆりふりすり)VIVRE 生きる  1995~2015

を出版されました。

田辺先生とは40年来のお付き合いとのこと!

初めて読んだ作品でありながら震災川柳百句に選ばれた「冬の雲 仮設の窓に チマチョゴリ」など、震災当時サンテレビの報道記者として目の当たりにしてきた経験をもとに表現した作品。そして、中には恋愛がテーマの作品も。

「揺振摺 VIVRE 生きる  1995~2015」は書店でのお取り寄せや、amazon.co.jpで購入できます。

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年05月10日(日) 14時00分

まっこと!MUSIC

赤い鳥小鳥/美山まり

貴志康一作曲 交響曲 仏陀

  第二楽章 ガンジスのほとり“母”

  /小松一彦指揮 東京都交響楽団

ボッケリーニ作曲 メヌエット

      /天宮遥ピアノ演奏(スタジオLIVE)

   (2015.5.10 ON AIR

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年05月10日(日) 13時00分

5月3日は憲法記念日。

TVや新聞そしてラジオの各番組でも憲法について多く取り上げられることでしょう。今の憲法に関してリスナーの皆さんそれぞれに考えがおありでしょうが、賛成 !反対!と言う前に改めて憲法をしっかり読み、よく考えるということが大切なのでは?と田辺先生はおっしゃっていました。

 ○

今週のレクチャーは4月29日〜5月5日がおもちゃ週間ということで古今東西のおもちゃについて思いを馳せました。

では、今週の「田辺眞人のラジオレクチャー」をまとめてみます。

日本ではおもちゃ

中国では玩具(がんぐ)と言いますね。

 ○

では何故日本で「おもちゃ」というようになったのでしょう。

 

そもそも「おもちゃ」とは

”弄ぶ(もてあそぶ)道具”でした。

それが、どんな風に変化をして行ったのでしょうか?

  ○

平安時代の御所で働いていた女性達の間で言葉の後の部分を省略して、頭に「お」をつける習慣がありました。

もてあそぶ道具→もちゃそぶ→もちゃ

頭に「お」を付けると→おもちゃ

となったのです。

  ○

他にもこんな習慣が。。。

言葉の後ろの部分を 省略して、後ろに「もじ」をつける。

スプーンのことは

しゃくし→後ろの部分「くし」を省略して→しゃ

そして後ろに「もじ」を付けると→しゃもじ

という具合です。

  ○

言葉は 変化し定着するまでに、年月がかかります。

「おもちゃ」という言葉も室町時代になって漸く定着します。

おもちゃは世界的にどこにでもありますが

定義としては、

①実物を模倣しミニチュアにしたもの

②空想して楽しむもの

と言えます。

  ○

自動車の模倣して小さくしたもの→「おもちゃの車」

人間を真似して小さくしたもの→「人形」

という具合です。

古代の遺跡の中から、実物を模倣した小さなミニチュアが出てきたら、まずおもちゃだと思って良いかと思います。

  ○

例外としては、縄文時代の土偶(土でできた人形)は宗教的なまじないではないかと言われています。

こういった土偶は竪穴式住居の出入り口に埋めてあります。

一番よく踏む場所にわざわざ埋めてあるということは?

よく見ると、右腕の一部分が割ってあったりという風に体の一部分が欠けているのです。

ということは、この土偶を踏むことによって手の痛いのが治ったりといった「おまじない」的なものだったのではないかと言われています。

  ○

英語のTOYの語源はわからないと言われています。

遊ぶための道具ですから辛辣で血なまぐさい物は本来は使いません。

  ○ ○

最も古いおもちゃは今から5000年〜4500年前、インダス文明の遺跡から小さな荷車が出てきました。同時に笛に鳥がくっついた物、お猿さんの仕掛け人形なども出てきました。

  ○

古代のエジプトの遺跡からは木の人形、貝殻で作ったガラガラ。

ギリシャやローマの時代のヨーヨー。

ヨーロッパのヨーヨーが大航海時代に日本に伝わって来た物ではないかと思われます。

  ○

古代のローマでは子供の時代に遊んでいたおもちゃを神殿に収めていました。女の人が結婚する直前に儀式として行われていたようです。

  ○

今から約1000年くらい前、中世の半ばになって物流が始まるとヨーロッパ各地でその地域でよくとれる材料を使っておもちゃをこしらえる人が現れ、それを売る行商人も現れます。

今から4〜500年前くらいになってヨーロッパで発達する物にドールハウス があります。人形の家です。おうちのミニチュアですね。

その中には家具もあり、実際の生活をするようなおもちゃが出てきます。

あ〜!憧れのドールハウス♡

  ○

そしていよいよ1700年代の終わりから1800年代の始めにかけての産業革命でおもちゃは大量されることになっていくわけです。

  ○

姫路市香寺町に日本玩具博物館があります。

館長の井上さんのお話によりますと

「おもちゃで遊ぶことは、楽しみやレジャーだけでなく、脳を刺激するんです。その結果、頭脳の発育が促されて細かい作業ができるようになります。」とおっしゃっていたそうです。

 ○ 

玩具博物館に一度行きたいな!と田辺先生。

 ○ 

おもちゃにまつわる、ふか〜いお話をお聞きできました。

私は有馬玩具博物館のAUTOMATAを見に行きたくなりました。

 子供の頃、目をキラキラさせて遊んだ経験はどなたにもありますよね。

  

(愛読書 故 西田明夫さんの世界。有馬玩具博物館で見られます。)

  ○

なおりんはあまりお人形遊びは得意ではなかったですね。

いつも、妹と妹の友達にリカちゃんといずみちゃん人形を占領されて、何故だかいつもワタル君人形を持たされていました。

 野生児のように探検ごっこしたり、秘密基地を作ったり、ゴム跳びやフラフープ、おジャミにリリアン、カチカチクラッカーに、剣玉

あ〜懐かしいですね。

 

  ○

なおりん

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年05月03日(日) 15時00分

5月3日の田辺眞人のまっこと!ラジオ

人物事典は197ページ、乾征夫さんです。

乾さんは、兵庫県で長年教育に携わり、

このたび春の叙勲を受けられました。

  • カテゴリー: 総合
  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年05月03日(日) 14時00分