番組内容

わたしたちが暮らす街には、実はとっても深い歴史や文化があります!

神戸のヒストリアン田辺先生が語る「目からウロコ」のレクチャーや、神戸のピアニスト天宮遥の生演奏をまじえた日曜の朝の爽やかな情報ワイド番組です。

7月19日は、冒頭におかけした「椰子の実」の曲にまつわるお話からレクチャーして頂きました。

歌詞の誕生については、柳田國男が愛知県の伊良湖岬 (いらごみさき)に滞在した際の体験が元になっているそうです。

明治31年の夏、東京帝国大学2年だった柳田國男は、伊良湖岬で海岸に流れ着いた椰子の実に遭遇します。

まだ、外国の果物を見たこともない時代にあって、その驚きは相当のものだったのでしょうね。

柳田國男は、東京に帰り、文学仲間の島在藤村にその様子を熱く語ります。藤村もこの話に感動し壮大なイメージを抱きこの曲を作詞するのです。

一方の柳田國男は、「この椰子の実は黒潮に乗って、長い年月をかけて辿りついたに違いない。」

と日本民族の故郷は南洋諸島だと確信します。

 

海岸に打ち上げられた椰子の実ひとつから、後世に残る名曲の詩を遺した藤村。

そして柳田國男は日本文化の源流はどこか?きっと東南アジアから黒潮に乗って、日本海流、南海の道に乗ってやってきた人達によってこの列島に植え込まれていったのだと確信し、生涯その思いを持ち続けて研究を続けたそうです。この椰子の実も、長い旅の果てに大きな仕事をしたものですね。

 

改めて、歌詞をかみしめて、口ずさんでみたい曲です。

「椰子の実」

島崎藤村 作詩  田中寅二 作曲

 

名も知らぬ 遠き島より

流れ寄る 椰子の実一つ

 

故郷(ふるさと)の岸を 離れて

汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

 

旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる

枝はなお 影をやなせる

 

われもまた 渚(なぎさ)を枕

孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ

 

実をとりて 胸にあつれば

新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)

 

海の日の 沈むを見れば

激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙

 

思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)

いずれの日にか 国に帰らん

では、太平洋の島々にはどこから行ったのか?

見えている島に行こうとして嵐のため漂流したという説と、敵に攻められともかく海に逃げたという2つの説があり、辿りついた先がソサエティ諸島だということがわかってきました。そこから東西南北に拡散。

例えば北にハワイ、南東にイースター島、南西にニュージーランドという具合に拡散していたのではないかとされています。

 

ところが拡散した地域の人が使っている食べ物、道具、言葉を見るとアメリカの先住民の影響があるということがわかって来たのです。

なぜなら、南米原産の根菜、特にサツマイモに注目してみるとポリネシアでコモラ、コムラと言っているものが南米でも同じようにコモラとかコムラなのです。

そこで、南米の先住民が船に乗って西に向かったのではないかという少数意見も出てきました。

 

太平洋の島々の民俗調査を戦前から、奥さんと共に続けたのがノルウェイの人類学者トール・ヘイルダール

さんです。

ヘイルダールさんは昭和22年にコンティキ号(幸福の神の意)という筏の船で、ペルーから出発し4ヶ月間かけて、ソサエティ諸島に辿りつき「これは不可能なことではなかった。」とします。

 

なんと田辺先生は、このトール・ヘイルダールさんにお会いになったことがあるそうです。

すごい!

海を見つめる度に、ヘイルダールさんとお話したことを思い出されるそうです。

今日のお話を聞いて、目の前のささやかな物の中にも、こんなに壮大なお話が潜んでいるものなのかと

思いました。潮の流れに乗って文化も島から島へ、人から人へ。そして今日のお話もラジオという波に乗って皆さんの心に届いたでしょうか?

 

(文:まとめ久保直子)

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年07月28日(火) 18時00分

7月26日の田辺眞人のまっこと!ラジオ

人物事典208ページは税理士 喜多山宏明さんです。

喜多山さんが創立メンバーとして立ち上げた神戸税務会計セミナーが今年50年迎えました。

 

  • カテゴリー: 総合
  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年07月26日(日) 14時00分

まっこと!MUSIC

ゲゲゲの鬼太郎/滝口順平

オルフ作曲

  ”カルミナ・ブラーナ”から「運命の女神よ

   /アンドレ・プレヴィン指揮

        ロンドン交響楽団、合唱団

ショパン作曲 前奏曲第7番イ長調

  /天宮遥ピアノ演奏(スタジオLIVE)

   (2015.7.26 ON AIR

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年07月26日(日) 13時00分

19日の放送終了後、なおりんも田辺先生にくっついて、すずらんホールに!

お目当ては「すずらんホールに農村歌舞伎がやってくる!!」



農村歌舞伎は、初めて見るのでワクワク。

田辺先生のおはなし「官兵衛の中国大返しと太十・尼崎の段」に続いて、神戸すずらん歌舞伎の皆さんによる「絵本太功記」が上演されました。

気合の入った演技に、絶妙の声援。
笑いも拍手も心地いい!

う~ん!いいね!
いつの間にか瞳をキラキラさせている自分にびっくり。

衣装も想像以上にきらびやかでしたよ。
観客の皆さんも、掛け声や、おひねりを投げるタイミングも上手です。

私はおひねりが舞台まで飛ばなくて、隣に座った方がわざわざ拾って舞台に投げ込んで下さいました。ゴメンナサイ。

結構むつかしいものですね。
今度はバッチリ決めますよ!

農村歌舞伎は、舞台と観客が一体となって、笑顔になれるから楽しいですね。
明日からも頑張ろう!って気になりました。

秋には山田町小河の農村歌舞伎舞台でも公演が予定されています。

是非、皆さんも足を運んでこの楽しさを共有して下さいね。



なおりん

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年07月20日(月) 13時00分

7月19日の田辺眞人のまっこと!ラジオ

人物事典207ページは

勘亭流 書家 山下恵子さんです。

「勘亭流」とは歌舞伎の看板などに使われる書体です。

歌舞伎を観に行くうちに、勘亭流書家を目指し、

活動するようになったという山下さん。

農村歌舞伎の公演を行っている神戸の市民劇団、

神戸すずらん歌舞伎の公演などで勘亭流作品を書かれています。

歌舞伎文字 勘亭流作品展

7月31日(金)まで

シーサイドホテル舞子ビラ神戸ギャラリー

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年07月19日(日) 14時00分

まっこと!MUSIC

椰子の実/ダークダックス

サン・サーンス作曲

  組曲“動物の謝肉祭”から「水族館

   /リチャード・スタンプ指揮

        アカデミー・オブ・ロンドン

浦島太郎

  /天宮遥ピアノ演奏(スタジオLIVE)

ベートーヴェン作曲 カンタータ

  静かな海と幸いなる航海

   /ヘルムート・コッホ指揮

        ベルリン放送交響楽団

   (2015.7.19 ON AIR

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年07月19日(日) 13時00分

今日7月12日(1192年)は源頼朝が征夷大将軍になった日。

いい国作ろう鎌倉幕府と年号を覚えた方も多いですよね。

そこで・・・

今週のメッセージテーマは「私の語呂合わせ記憶術」でした。

リスナーの皆さんからは色んな記憶術が寄せられました。

1167年 平清盛政権をとる←(いい胸毛平清盛)

1333年 鎌倉幕府滅亡←(いちみさんざん北条氏)

1334年 建武の新政←(人さんざん死んで建武の新政)

英語の単語MATURE(成熟)←まっちゃーいられぬ成熟

 

遥さんは数字を覚えるのに、ピアノの指番号で覚えるそうです。

音楽家らしい覚え方に、さすが~♪と感嘆。

 

歌詞にひっかけて、忘れ物をしないように歌うという方もありました。

 

私は人の名前を覚えるときに、子供の頃や学生時代の友人の顔を思い浮かべて覚えるのですが

時々、昔のボーイフレンドの名前が別のボーイフレンドの名前と入れ替わって、とんでもない記憶違いをしてしまうことがあります。H君とN君が最も入れ替わりやすい(笑)中学の友人は坊主頭だったから、どの子もおんなじに見えました。

 

さて、今週の田辺眞人のラジオレクチャー!のおさらいです。

鎌倉幕府はいつできたか!!でした。

みなさんは良く理解できましたか?

私は、ちょっと混乱してしまいました。

 

田辺先生は「鎌倉幕府成立は1192年から1185年に変わったのですか???」

とよく聞かれるそうです。

 

それは、変わったのではないということでした。

「はい!鎌倉幕府できました!!!」

と、いきなり鎌倉幕府が出来たのではないということです。

 

段階を経て鎌倉幕府が出来たのですが、いつを成立とするかは5つの説があるそうです。

 

①  1180年 ②1183年 ③1184年 ④1185年 ⑤1192年です。

 

今日のお話がわかりやすいように、簡単な年表を載せておきますね。

①  1180・2 安徳天皇即位

    ・5 以仁王・源頼政ら挙兵、敗死

    ・6 福原京遷都(11月には京都に戻す)

    ・8 源頼朝挙兵、石橋山で敗れる

    ・9 源義仲挙兵

    10 頼朝鎌倉入り。富士川の戦い

    11 頼朝、侍所を設置

    ・12 平重衡、南都を焼打ち

1181・閏2 清盛の死(64歳)

    ・4 養和の飢饉

②  1183・7 平氏の都落ち、義仲入京

    10 後白河法皇、頼朝の東国支配権を認める

③  1184・1 源範頼・義経、義仲を討つ

    ・2 摂津一の谷の合戦

    10 頼朝、公文所・問注所を設置

④  1185・2 讃岐屋島の合戦

    ・3 壇の浦の戦い、平氏滅亡

    11 頼朝、守護・地頭を設置

   1189・9 頼朝、奥州平定

⑤  1192・7 頼朝、征夷大将軍となる

いつが鎌倉幕府成立か。。。ちょっとこの年表と“にらめっこ”してみてください。

(文:まとめ久保直子)

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年07月12日(日) 15時00分

7月12日の田辺眞人のまっこと!ラジオ

人物事典206ページは

西宮市大谷記念美術館 下村朝香さんです。

西宮市大谷記念美術館では、

【阪神沿線の文化110年展】

阪神間で活躍したグラフィックデザイナー 今竹七郎

を2015年6月13日(土)~8月2日(日)開催中。

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年07月12日(日) 14時00分

まっこと!MUSIC

山のワルツ/クラウン少女合唱団

メンデルスゾーン作曲 劇音楽

  “真夏の夜の夢”から「結婚行進曲」

   /ネヴィル・マリナー指揮

        フィルハーモニア管弦楽団

フリードリヒクーラウ作曲

  ソナチネ 第1番

  /天宮遥ピアノ演奏(スタジオLIVE)

メンデルスゾーン作曲 劇音楽

  “真夏の夜の夢”から「プロローグ」「葬送行進曲」

   /ネヴィル・マリナー指揮

        フィルハーモニア管弦楽団

   (2015.7.12 ON AIR

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  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年07月12日(日) 13時00分

今週は「お勧めの遺跡・行ってみたい遺跡」というテーマでメッセージを頂きました。

今日はギリシャで国民投票が行われていることもあり、ギリシャにまつわるお話でした。

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ギリシャの古典文明は今から2500年前から約500年の間に大きな発展があったとされてきました。

ところが、そのさらに200年前にホメロスと言う人が昔の言い伝えを本にしています。

それが、「イーリアス」と「オデュッセイア」という2種類の本です。

その中に『大昔、ギリシャからエーゲ海を東に渡って小アジア半島(今のトルコ)にあったトロイに攻撃に行きます。10年間包囲しても難攻不落で落ちないため、最終的にギリシャ軍はエーゲ海を渡り帰ってしまったと見せかけます。

 トロイの人達はギリシャ人が退散したと思い喜んで宴会をするのですが、ギリシャ人達は逃げ帰る前に、その町の城門の外側に木で作った大きな馬を残していきます。

トロイの人達は「勝った!勝った!」とその木馬を街の中に引き入れ、酔っぱらってしまいます。ところがこの木の馬のお腹の中にはギリシャの兵士が隠れていていました。夜中になって中から出てきてトロイの街に火をつけ、街を陥落させます。』という物語を2700年前にホメロスと言う人が書いています。あくまでもこれは言い伝えでした。

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ところがこの物語の絵本「子供のための世界歴史」を読んだ7歳の男の子が火で燃えている古代のトロイの様子を見て“ほんとうに おこったことでなければ、こんな絵はかけない。”と思います。そして一生かけてこのトロイを探したいと強く決意します。

それがハインリッヒ・シュリーマンです。

彼の家は彼が10歳くらいの時に没落し、生活が苦しくなったため、店員や船のボーイをしたりするのですが、たまたま貿易会社に勤めた時に、貿易の仕方や帳簿付けを学び、ビジネスを本格的にやりはじめます。そして1846年たまたまその貿易会社の仕事でロシアのぺテルスブルクに行き、そこで西ヨーロッパからの品物を売ったりして一儲けし、商人として独り立ちします。1850年~60年というとヨーロッパではクリミア戦争が起こりアメリカで南北戦争が起こるわけです。すると大量に物資が輸送され貿易が盛んに行われます。

ハインリッヒ・シュリーマンは大商人になり、好きなことをしても生活が成り立つようになります。(リンカーンがアメリカ大統領に選ばれた4年後の)1864年にビジネスを引退します。

そして子供の頃からの夢、エーゲ海の東の小アジア半島のある場所をシュリーマンはきっとホメロスがうたった、あの焼け落ちトロイに違いないと言って発掘するのです。そうしたら大都会の遺跡が出てきます。しかも焼け焦げた層がある。やっぱり火事で焼けている。さらには黄金製品が、たくさん出てきたのです。

「黄金に富むミケナイ」とホメロスが書いているので、今度はギリシャ本土のミケナイがここだろうと発掘したらやっぱりでてくるんです。

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今から約200年前まではヨーロッパの人達は、今から2500年ほど前からギリシャ文明が発達したと言っているのに、それよりも200年前のホメロスが大昔の話として書いていた遺跡が出てきたということは古代のギリシャの文明以前にエーゲ海の周辺に巨大な都市国家があり、戦争し、金が豊かで大きな未開の文明があるということをシュリーマンは見つけるわけです。

これが1870年代~80年代ということですから、日本では明治ひとけたから10年代位の頃です。

シュリーマンは、そのトロイとかミケナイの遺物、遺跡を見て、きっとこれはエジプトの影響を受けているにちがいない。エーゲ海の西のギリシャのミケナイとか東の小アジア(今のトルコ)のトロイが南からエジプトの文明の影響を受けているとしたら、水上交通で地中海の東側を南から北へ航海したのだろう。とすると真中に、中継地としてクレタ島があるというところに目を付けます。

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ギリシャの古い言い伝えの中で、クレタ島には大昔、ミノスという大王がいて大きな宮殿を構えていました。この中には一度入ると迷って出られない巨大なラビュリントス(迷宮)がありました。このクレタ島のミノス王のお妃が牛に惚れてしまうんです。そして牛とお妃の間に子供が出来る。頭が牛、体が人間の生き物です。これをミノタウロスと呼んでいます。この怪物ために、弱小国だったアテネでは毎年男の子7人女の子7人を人身御供にクレタへ送らなければならないという言い伝えがあることから、シュリーマンは“きっとこれはギリシャ本土よりも前にクレタ島が栄えていて大きな文明があったのではないか”と仮説を立て、ミケナイのあとはクレタ島の発掘の計画を立てるのですが志半ばにして1890年にシュリーマンは亡くなります。

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その後を引き継いだのが、シュリーマンの助手をつとめたイギリス人のアーサー・エバンズと言う人です。実はエバンズの今日は誕生日という説もあります。

(1851年7月5日or7月8日生まれと言われています。)

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アーサー・エバンズがクレタ島のクノッソスという所を掘ってみたら本当に大きな宮殿跡が出てきました。ワンフロアーに部屋が100もあり、しかも東から西へ傾いた斜面に建っているため、東の方から入ったら1階なのに西へ出たら2階になっている。結局、“迷宮”に矛盾しないのです。

さらに壁画も見つかりました。前から走って来る牛の前に立って、やって来た牛の角を握って、空中で一回転して牛の後ろにおりるような儀式の絵があるのです。

ミノタウルスという牛の頭の怪物の話にも矛盾しないということがわかってきました。

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クレタ島クノッソスの宮殿の発掘で粘土板がたくさん出てきました。

絵文字、象形文字、さらに線文字が2種類。線文字A線文字Bです。

アーサー・エバンズは読めませんでした。

アーサー・エバンズは1936年にロンドンでクノッソスの神殿の発掘報告「誰にも読めない文字の話」という講演をしました。

この時、14歳のイギリス人の男の子マイク・ベントリスが、その話を聞いて強い感銘を受けます。

(7歳のシュリーマンが絵本を見て、一生かけて発掘したい。と思ったように・・・。)

エバンズの話を聞いてマイク・ベントリスはいつかその文字を自分が読めるようになりたい。と思います。

結局この人が線文字Bを読み解いて古い時代のギリシャ語だということをのちに解明したのです。

ドイツ人のシュリーマン、イギリス人のエバンズ、イギリス人のベントリスが関わってギリシャの古代の姿が明らかになってきました。

(文:まとめ久保直子)

  • カテゴリー: 総合
  • 投稿者: makoto
  • 投稿日時: 2015年07月09日(木) 13時00分