~戦後75年・追憶~「戦争とコロナ 国家か、国民か」書写山円教寺・第百四十世長吏 大樹孝啓さん(96)《下》

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 戦後、民主主義と自由を手にした日本。焼け野原から立ち上がり未曽有の経済成長を遂げた昭和。バブル崩壊と自然災害にさいなまれた平成。そして令和の時代に全世界でまん延する疫病「新型コロナウイルス」。生き方や価値観が改めて問われることとなった戦後75年の節目に求めるべきものは何か。引き続き円教寺第百四十世長吏・大樹孝啓さん(96)に聞く。

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■戦争は人影があるが、ウイルスは姿が見えない

 私も96歳となり、コロナ感染予防のために誰とも会うこともなく山の中でゆっくり一日を過ごす、そんな日々が続きます。何の苦痛もありません。そうしたなか75年前に終わった戦争を思い出していると、今世界にまん延する新型コロナウイルスをめぐって私たちに突き付けられた課題ともいえる「国家と国民」について考えなければいけないと思うんです。 戦争のことを知らない世代の方々が増えるこれからの時代に。

「国家と国民」を考える
「国家と国民」とは、「いつもの自由」とは

 戦争中の「欲しがりません勝つまでは」という国民の合言葉が、皮肉にも今、通じるような気がします。いわば「(自由を)欲しがりません。(疫病、コロナウイルスに)勝つまでは」とでも言いましょうか。私はこの言葉で乗り越えられると思っています。

 戦時中から日本国民は本当に食べ物に困っていた。いつもお腹を空かせていた。早く自由が欲しかった。今はどうか。75年前の戦争時代とは違い今はコロナウイルスとの闘いなんです。戦争は人影があるが、ウイルスは姿が見えない。こうしたなか国は「外出の自粛のお願い」をしたと思えば「GoToトラベルキャンペーン」で旅に出ようと打ち出してきた。もちろん、経済の循環を正常化させるのも大切ですよ。

「自由の受け止め方」とは
「自由の受け止め方」とは

 敗戦で日本は民主主義の国になった。敗戦と引き換えに自由を手に入れた。ただそれが贅沢という方向へ行き過ぎたのではいないかと思うのです。外食に出かければ世界中の料理に接することができる。連休には海外旅行に出かける人が増えた。これこそ繁栄の証しで、自由を謳歌することは良いことだと信じて生きてきた。それが外出自粛を求められ、一時的に飲食店の閉店時間が繰り上げられたり「いつもの自由」が失われて自宅に閉じこもることは辛い。でも今はそれが求められている。

 さらに風水害や地震といった自然災害が毎年押し寄せる。これは地球の怒りともいえると思うのです。それと同時に神仏の、私たち人間に対する忠告、警告だとも思います。 コロナの時代もそう。私たちが今甘えてしまっては 、コロナウイルスに負けてしまう。闘う姿勢が必要なのだと思います。

大樹孝啓さん 修正会 2020年1月
円教寺・修正会 2020年1月(中央が大樹さん)

■戦後手にした「自由」の受け止め方を考えたい

 世界が「クローバル化した」といわれて久しくなりました。グローバル化は本来、多様性を認め合うことだったと思うのですが、交通が発達して往来が自由に、便利になった、それだけが取りざたされてしまった。コロナウイルスのまん延で今、海外渡航は規制されていますが、このグローバル化が瞬く間にコロナウイルスの爆発的な感染を招いてしまった側面もありますね。大昔の疫病のまん延も大変でしたが、現代は人々の往来のスピードと規模が違う。

 もっとも、戦中戦後に私たちが受けた苦痛を押し付けるつもりはありませんよ。たとえ日本が劣勢だと思っていても、ポツダム宣言の受諾までは「欲しがりません、勝つまでは」という言葉のもと、もし米軍が上陸したら民衆も闘わなければならなった。「もの言えぬ」時代に比べれば、敗戦で自由を手にしたところまでは良かった。

昭和20年代
終戦後には、趣味のカメラを手にすることも(画像・大樹孝啓さん提供)

■「アクセル」でなく「ブレーキ」を踏み切れていたか

 ただ私たちはその自由のとらえ方を誤ったのかも知れません。敗戦で食糧難の中、進駐軍が乗り込んできてガムをかみ、缶ビールを飲み干してジープで走り回る…そうした姿を見た日本人は「これが自由というものなんだ」と思ってしまった。本来、アメリカには自由を勝ち取った建国の精神がある。そこを真似しないで、派手な部分を見て自由を美化していたのかも知れませんね。それは日本人が敗戦までひもじい生活をしていたという裏返しとも言えます。

 それを思い返して、語り継ぐことは私たちの世代の役目です。間違った自由を謳歌するのではなく、少しの我慢があれば。コロナと共存する社会となり、政府が自粛について国民に強制できず、要請でしかない。むろん罰則もない。国民の自主性を尊重することも大事ですが、 戦後、制約や統制に対して国民が非常に敏感になってしまう文化が育った。私は国民の命を守るためにはもう少し角度を変えて、厳しさも必要だったのではなかったかと思います。国民の大半はルールを守っていると思うのですが、一部の人が守らない。 自由を甘んじてはいけないと思いますよ。自分で自分の首を絞めることにならないように。

大樹孝啓さんとトムクルーズ
2003年公開のハリウッド映画「ラストサムライ」ロケ地として 主演のトム・クルーズ氏(右)と(画像・大樹孝啓さん提供)2002年10月撮影

■円教寺では毎年、元日の午前零時に「新春夢の書」を大樹さん自身が揮毫する。2020年は『命』だった。文字通り命について考えさせられる年に…

新春夢の書
2008年(平成20年)に始まった「新春夢の書」 自身が考え、揮毫する(画像・円教寺提供 2020年1月1日)

「この一年、こうあって欲しい」と願う漢字1字を、心を込めて書き上げる。前々から『命』を選ぼうと思っていたんです。明治維新があって海外の文化を取り入れるようになってからも日本人は、三聚浄戒(さんじゅじょうかい)という基本的な仏教の教えにもあるように「悪いことはしません。良いことをする。世のため人のために役立つように、親切に生きる」精神を持ち続けていた。それが現代では互いに傷付け合い、命を粗末に扱う人が増えている。また自ら命を絶つ人も多い。命を大切に思う心を持って欲しいとの気持ちからです。それが世界的に拡がる疫病のまん延で、改めて命について考える年になった。

■最澄の教え「忘己利他」今に

大樹孝啓さん
「戸津説法」最澄が琵琶湖畔の戸津浜で人々を集めて法華経を説いたことが始まり(画像は大樹さんが説法師を務めた1999年8月 大津市・東南寺)

 国というのは国民があって国家がある、国家があって国民がある。表裏一体だと思うのです。 特にコロナ社会になり、日本は国家よりも国民個人の権利だけが尊重されてしまった印象が強いですね。経済の循環も大事、国民ひとりひとりの生命も大事。そうしたなか、国家意識が薄くなったような気がします。もっとも75年前の戦争時代はお国のためにと信じ込まされて、私たち海軍の兵隊は米軍キャンプから略奪する稽古をさせられたり、家を守る婦人たちは竹やりを持って米兵に見立てた人形を刺していたのですから、あのころを思えば今さら国(政府)に強制力はない、という意見もあるでしょう。終戦から75年経ち、本当に皮肉なことです。

「忘己利他」
哲学者・梅原毅も著書「最澄と空海」で現代日本における忘己利他の精神の必要性を指摘している。
最澄の御廟、最も清浄な聖域とされる「浄土院」(比叡山延暦寺)
最澄の御廟、最も清浄な聖域とされる「浄土院」(比叡山延暦寺)

 円教寺は伝教大師・最澄が開いた天台宗の別格本山として1000年以上の歴史を刻みました。 伝教大師・最澄は「忘己利他(ぼうこりた)」という言葉を残された。 文字通り「己を忘れるぐらい他人を大事に」、という意味です。折しも来年(2021年)6月には最澄の没後1200年の御遠忌を迎えますが、私は「自分も他人も共に思いやる。平等に思いやる」と考える「利他」の精神が今のコロナ社会にも通じると思うのです。相手を思いやり飛沫感染を防ぐ、三つの密を作らないという日常生活のあり方が問われている。最澄が「山家学生式」に記した有名な「一隅を照らす、これ 則ち(すなわち)国の寶(たから)なり」という言葉、「社会の片隅に光を当て、与えられた持ち場や役割を誠実に務める人こそ尊い」の根底には「利他」があると思います。1200年前の最澄の時代も災害や疫病に翻弄されてきた。歴史は繰り返されます。

大樹孝啓さん
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大樹孝啓(おおき・こうけい)
1924年(大正13年)11月、兵庫県飾磨郡曽左村書写に生まれる。1943年(昭和18年)出家得度。海軍少尉任官、終戦を迎える。1948年(昭和23年)~1965年(昭和40年)姫路市で小学校教諭。1984年(昭和59年)円教寺第百四十世長吏に就任。1996年(平成8年)大僧正補任。2010年(平成22年)天台座主の次位に当たる主席探題に。

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