●江戸と京阪――東西が合体して雛人形の典型が誕生する
明治時代初期には、京阪においても従来の描き目より、玉眼の雛人形が多く作られるようになりました。江戸の人形師・玉翁は、玉眼の手法を京都にもたらした人形師のひとりと伝えられています。
《明治12(1879)年製、頭に玉翁の銘がある古今雛》は、頭に《玉翁の銘》がある古今雛です。着付けの様子は京阪型ですが、玉眼が入り、天冠に白玉が下がっているのは江戸型の特徴。つまり、江戸と京阪が合体した雛人形といえます。
明治時代に入っても、東京と京阪では人形の表情や衣装の形態、衣装の色調、天冠の様式などに際立った違いが見られましたが、やがては双方の様式が混交して、私たちの雛人形のスタンダードが作られていくのです。
そして、《明治44(1911)年の京都製古今雛》は、平成7(1995)年の阪神・淡路大地震で被災されたご家庭から保存してほしいと寄贈を受けた雛人形です。とくに関西地方の人々にとっては、“これぞお雛さま!”と感じる姿ではないでしょうか。戦争や災害をくぐり抜けてなお、艶やかな輝きを放つ名品です。(日本玩具博物館 学芸員・尾崎織女)
■日本玩具博物館
〒679-2143 兵庫県姫路市香寺町中仁671-3
電話 079-232-4388
【公式HP】
◆「雛まつり~江戸と明治のお雛さま~」 学芸員によるリモート・ミュージアム・トーク
(1)雛人形に見る「京阪好み」と「江戸好み」
(3)江戸は段飾り 京阪は御殿飾り
(4)雛道具に見る江戸と京阪の違い