「忘れないことが最大の支援」東北地方・太平洋沖地震からの10年を振り返る フリーアナウンサー・大和田新さん | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「忘れないことが最大の支援」東北地方・太平洋沖地震からの10年を振り返る フリーアナウンサー・大和田新さん

LINEで送る

この記事の写真を見る(3枚)

それで、2000人にインタビューして、政治家になりたいという子が、1人しかいなかったんですよ。それを当時の福島県知事・佐藤雄平さんに伝えたところ、「それは俺たちの不徳の致すところだな」とおっしゃっていました。そのくらい政治家というものが福島の復興とかけ離れた状況にある、と若者たちには見えてたんですね。

あとは、とある高校で取材をして帰るとき、男の子に「大和田さんの将来の夢は何ですか?」と聞かれて、「来年でラジオ福島を定年退職になるから、健康で長生きすることかな」と答えたら、その子がニヤっと笑って「大和田さん、将来の夢を語れない大人って、格好悪いですよ」と言ったんですよ。やられたなと思って……。だから私は今年の夢、来年の夢、5年後の夢を語れるように「あのオヤジ、夢を語ってていいな」と言われるようにしたいなと思います。

[写真②]
東京電力福島第二原発を大学生と視察。建屋内でインタビュー中(写真提供:大和田新さん)

――では、今の夢を教えてください。

一番は原発の廃炉を見届けたいということですね。あと40年……105歳になりますね(笑)。負の遺産を若者たちに押し付けて死にたくないので。あと40年経った後、「え? 全国一の長寿県って福島県なの? 原発事故があったからこそ、みんなが健康に関して考えるようになったんだね」「福島県に行くとガンが治っちゃうの? やっぱり放射能や放射線と身近だからこそ、医療が進んでいるんだね。じゃあ福島県に引っ越そうよ」みたいな。そういう福島県にしたいですね。

――当時、津波があった地域では、物理的な『復旧』は進んでいるように見えますが……。

今、その『復旧』という言葉を使っていただきまして、本当にありがとうございます。その通りなんです。道路が直った、堤防ができた、新しく学校ができた、医療施設ができたというのは『復興』ではなく、『復旧』なんですね。『復興』というのは、一人ひとりの心が前を向いて一歩進むこと。特にご家族を亡くされてつらい思いをしている方が、「亡くなった家族の分も一歩進もう!」となったとき、本当の意味での『復興』だと思っていますし、これは福島県も宮城県も岩手県も同じだと思います。

◆これからを生きる人へメッセージ

――最後に、大和田さんが今を生きている皆さんに伝えたいことを教えてください。

この10年を振り返って、いろんなことを教えていただきました。本当に感謝しています。震災なんてね、なかったら良かったんです。でもね、あったんですよね。そして、その後に、取材を通していろいろとご指導いただいた、ご遺族の皆さんに心から感謝するとともに、一番教えていただいたのは命の大切さでした。

LINEで送る

関連記事