「将太は友だちに恵まれてたね。だから将太と近い人物が犯人じゃないことはわかっていた」。こうした友人たちの優しさの中で生きてきた将太さんの命を奪った犯人を、なおさら許すわけにはいかない。
敏さんはこの11年、自分に言い聞かせてきたことがある。
ひとつは「警察(捜査)の批判はしない」。
科学捜査は日進月歩の勢い。何を差し置いても、捜査は自分ではできない。いまだに殺害された時の将太さんの衣服は、敏さんら遺族のもとに返ってきていないという。現に将太さんが着ていたTシャツの付着物から、犯人のものとされるDNA型が検出され、いわゆる「犯人性」を示す確率が極めて高くなった。これら一連の捜査は、まさに捜査員にしかできないからだ。
もうひとつは「犯人に”出てこい、自首しろ”とは言わない」。
敏さんは事件から5年あたりまで、事件そのものについて感じていることや、犯人に対して言いたいことは、何度問いかけても答えなかった。「答えようがないからね。答えても将太が戻ってくるわけでもないし」。
しかし講演の依頼が来るようになり、ひとりの遺族として、人々に思いを伝える機会が増えてからは、家族、親子、地域、安全、絆といったことを考えるようになった。人に伝えるには自分自身の生きざま、将太さんと過ごした16年あまりの日々をフィードバックしなければならない。そうするうちに、犯人はもう逃げられない、捜査の網をかいくぐることはできない、我々が追い詰めているんだという意識に変わっていった。
自らが作成した情報提供を求めるチラシのポスティングは5万枚にのぼった。当時は雲をつかむ思いだったが、少なくとも事件から6年を過ぎたあたりから何らかの手応えを感じていた。