2021年が明けた。孫が生まれた。そして犯罪被害者遺族の立場で、加害者を生まない安心・安全な社会を、という理念のもと続けてきた講演活動が評価され、兵庫県の「ひょうご地域安全まちづくり活動賞」を受賞した。何かが変わる。何かが動いてゆく。正月、正子さんにふと、「なんとなく、今年は(犯人が)捕まりそうな気がする」と話しかけた。明確な根拠はなかったが、手応えが今夏に現実のものとなるまでには時間はかからなかった。
敏さんら遺族の思いはひとつ。「なぜ?」
なぜ将太さんは殺されなくてはならなかったのか、一から十までどころか、それ以上のことを知りたい。11年近く、それだけを考えてきた。これからはその部分を埋めていくだけだ。
しかし、将太さんは戻ってこない。
事件発生当時の捜査主任は毎年、命日に自宅を訪れ、霊前に手を合わせる。犯人逮捕の夜、敏さんに電話をかけてきた。号泣していた。「こんなに時間がかかってしまい、すいませんでした……」。敏さんも泣いた。
当時を知る捜査幹部の1人は、「何らかのボタンの掛け違いがここまでの歳月を費やすことになった。未解決事件、いわゆるコールドケースには、やはり複合的な理由がある。捜査員の連携や、捜査プロセスが欠落した部分は否定できないだろう。結果責任が問われる警察にとって言い訳はできない。ご遺族には本当に申し訳なかった」と話す。
2010年当時、すでに科学捜査の重要性が叫ばれ、捜査手法は転換期を迎えていた。もちろん客観証拠の収集のため、さまざまな情報を可視化する防犯カメラなどのツールも重要だが、昔ながらの人海戦術、聞き込みなど捜査員を大量投入するウエイトが大きかったのも事実である。
神戸特有の、山を切り開いた住宅街。碁盤の目を張りめぐらせ、一部は放射線状になった道路は袋小路。逃げ場などなく、犯人検挙は”時間の問題”と誰もが思っていた。その”時間”は10年10か月。長かった。