2010年10月4日から2021年8月4日まで止まっていた時計の針。
敏さんはじめ遺族も、将太さんの友人も、捜査員も、事件発生以来取材に当たっている記者にも、刻む音が聞こえた。秒針が再び動き出す。
「今でも我々は事件の中にいる。続いている。事件の本当の解決はないが、将太にとって最良の決着をつけたい」
元少年は知人に「人を殺したことがある」と事件への関与をほのめかしているとの情報を2020年秋に兵庫県警が入手していた。そこから逮捕までは、極めて少数の捜査員が、まさにトップ・シークレットのもとで動いた。
「犯人は罪の意識などなかったのではないか」敏さんは、元少年についてこう話した。犯行当時、元少年は神戸の親族宅で生活、犯行後に愛知県内へ移り両親とともに生活していた。元少年は逮捕されるまでSNSを使い、事件への関与をほのめかす発信をしていたという。
「そうした事実のすべてを受け入れて、来るべき裁判に臨みたい」。敏さんは裁判について「過去の判例を重視した判決ではなく、かといって遺族感情が先走るものでもなく、犯罪の抑止につながるもの、被害者・遺族が納得できるものでないといけない」と訴える。そして「将太はなぜ殺されたのか」と問いたい。それが最良の決着なのだ。
2021年10月4日。事件後初めて、命日に一日中、将太さんと過ごすことができる。1年前まで、この日は犯人逮捕に向けての情報提供を求めるチラシを配るなど、ただただ慌ただしく時間が過ぎていたからだ。
「何となく、将太が導いてくれたのかな」
見上げれば夏空から秋空へ。敏さんは久々に訪れた事件現場でつぶやいた。