EXOTICSを率いての第一弾は「ス・ト・リ・ッ・パー」(1981)。当時、イギリスを中心に流行していた『ネオ・ロカビリー』を大胆に取り入れた曲です。
【橋本】 かっこいい曲ですよね。スナックで中将さんが歌ってるのを聴いて知ってました(笑)。
【中将】 この曲はロンドンのスタジオでレコーディングされました。EXOTICSのメンバーに加え、現地のミュージシャンも参加していて、サウンドがぜんぜん歌謡曲のノリじゃありません。
【橋本】 たしかに「勝手にしやがれ」の頃とは全然違いますね。作曲もご自身でされてるし、バンドが変わって新しい感じを出したかったんでしょうか?
【中将】 加瀬邦彦さんらプロデューサーの意向もあったと思いますが、加瀬さんにしても沢田さんにしてもロックンロール大好きな人なんですよね。80年代初頭はロックンロールやロカビリーが世界的にリバイバルした時期なので、それにかこつけて好きなことやっちゃったんじゃないでしょうか。
【橋本】 私の中で沢田さんは歌謡歌手というイメージだったんですが、実はロックボーカル志向の方だったんでしょうか?
【中将】 歌謡歌手として売れてしまいましたが、そもそもザ・タイガースというバンド出身だし、かなりロックボーカル志向な人だと思います。だからこそバックバンドへのこだわりも強いんですね。
ともあれこの「ス・ト・リ・ッ・パー」はオリコンのウィークリーランキングで最高6位、『ザ・ベストテン』(TBS系)などの音楽番組でも注目され、けっこう売れました。以降、沢田さんは洋楽ロック色の強い独特の路線に進んでいきます。1982年にリリースされた「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」もかなり個性的な曲ですね。
【橋本】 歌詞と言いサウンドと言い、新しすぎますね(笑)。
【中将】 当時、ヨーロッパではデュラン・デュランなど、お化粧バンドがエレクトロっぽいサウンドをやる『ニューロマンティック』という音楽ジャンルが流行していました。「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」もあえて言えばニューロマンティックになるのかも知れません。