【中将】 ヒットポップスとしてはともかく、いい曲なんですけどね……。
反動なのか、次のシングルはまたまた洋楽ロックを大胆に取り入れた「晴れのちBLUE BOY」(1983)。当時、ヨーロッパで人気のあったアダム&ジ・アンツを意識したジャングルビートの曲です。
【橋本】 かっこいいですね! 沢田さんの曲の中でも一番好きかもしれないです。
【中将】 歌謡曲のはずなのにジャングルビートって衝撃的ですよね。作詞は現在、詩人として活躍している銀色夏生さん。作曲も当時注目の大沢誉志幸さん。でもこの曲もオリコンウイークリーランキングで11位、『ザ・ベストテン』でもTOP10に漏れるなど、振るいませんでした。かっこいい曲だしインパクトもあるんだけど、大衆が求めてるものとはちょっとズレてしまっていたんでしょうね……。
【橋本】 難しいですね……。
【中将】 でもEXOTICS期の沢田さんの路線は当時の日本の音楽シーンにとって意義深いチャレンジだったと思います。こういった楽曲がヒットポップスとして残ってるってすごいことじゃないのかなと。
また、沢田さんの活動に関わることで多くのミュージシャンやアーティストが世に出るきっかけをつかみました。EXOTICSのメンバーは1984年の解散後もそれぞれ音楽プロデューサー、ミュージシャンとして大活躍しますし、楽曲提供で関わった大沢さんや佐野元春さんら若手アーティストも次世代のJ-POPの担い手になっていきます。そう考えると沢田さんのEXOTIC期が果たした役割ってすごく大きいですよね。
最後にご紹介するのは、そんな沢田さんに佐野さんが贈った「すべてはこの夜に」(1984)
【橋本】 しっとりした素敵なロックバラードですね……。
【中将】 起用してくれた恩義に報いようと思われたんでしょうか、この曲を書くために佐野さんはそれまでの沢田さんのレコードを全部聴きなおしたそうです。EXOTICS期最後のアルバム「NON POLICY」に収録されていて、シングルカットはされなかったけど人気の曲です。