2022年8月15日、太平洋戦争の終戦から77年を迎えた。敗戦をラジオの玉音放送で知った少年は、ことし90歳になる。
今も地域の子どもたちや民間団体に向けて「戦争語り部」として平和の尊さを訴える照屋盛喜さん(大阪市城東区)。12歳だった1945年8月14日、米軍のB29爆撃機が大阪城内にあった「大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)を爆撃し、近くの国鉄・京橋駅にも1トン爆弾が落とされた。死者は身元が確認できただけで200人あまりにのぼり、実際の犠牲者は500人を超えるとされている。
朽ち果てた砲兵工廠・化学分析場跡は自宅からも近い。終戦の日を前に、改めてここを訪れた照屋さんは、「これが、隆盛を誇った東洋一の軍需工場の現状。窓ガラスは外れ、ベニヤ板がはがれ、完全に廃墟だ。これが太平洋戦争の結末。はるか昔、太閤さん(豊臣秀吉)が築いた大阪城の敷地の片隅に、この哀れともいえる姿が放置されて残っている意味合いをわかってほしい。もう2度と、戦争という愚かなことを起こすまいと、子どもも大人も誓ってほしい。輝かしい大阪城の天守閣が見下ろす、朽ちたレンガの建物。このコントラストが日本の歴史の現実だ」と話す。
■“フェイク”を信じ込まされる戦争、日本もロシアも同じ
毎年、蝉の声を聞きながら思い出すのは「戦時中はラジオのニュースで毎日のように『皇軍(日本軍)は連戦連勝』という内容を聴いていた。明治時代の日清、日露戦争の勝利に始まり、日本は世界一強い国だと信じ込まされていた。しかし先の太平洋戦争は、そうではなかった。1945年8月15日に、そのラジオから聞こえてきた『玉音放送』は、様相が違っていた。皆、ひざまずいて地面に手をたたきつけて泣いていた。日本は負けたことを悟った。終戦後にわかることだが、日本は世界から孤立して、時代遅れの戦力で欧米列強に完敗することは目に見えていた。国民はメディアを通して事実と異なることを伝えられていた」と話す。
それから77年を経た2022年2月、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まる。短期収束を、と願う私たちの気持ちとは裏腹に混迷の度を深め、勃発から半年が経とうとしている。侵攻が始まってほどなく、ロシア国営テレビ局の番組に乱入してウクライナ侵攻に抗議した女性ジャーナリストが注目された。
女性はテレビカメラに向かい「戦争反対」と叫び、「プロパガンダを信じるな」などと書いた紙を広げたのだ。