玉本さんが街の中心地で取材していると、「ドーン、ドーン」という大きな爆発音が2回聞こえた。近くでロシア軍の攻撃があったのは明白だ。玉本さんはすぐにビデオカメラを回した。
「今、大きな爆発音が聞こえました」。防空警報としてのサイレンが鳴り、地下シェルターに避難した。そこは国立オペラ・バレエ劇場、オデーサではポチョムキンの階段と並び称されるほど有名な建造物だ。避難しているのは、オペラの観客がほとんど。皆がスマートフォンとにらみ合い、自分の置かれている状況を家族や知人に伝えている。そして、「今、何が起きたのか」を知るために、ニュースサイトで情報収集をしている。
オペラ公演中、防空サイレンが鳴り、シェルターでの避難が1時間続くと中止、30分で避難解除なら再開されるという決まりになっている。玉本さんによると、演じる人々のモチベーションの維持が難しいが、そこはヨーロッパ。オペラやバレエに日常的に接する機会が比較的多いため、こうした状況であっても、芸術を守り切る思いは強いという。
旧ソビエト連邦を構成していたウクライナでは、独立前にNATOと敵対関係にあったため、核戦争による攻撃を想定して、ソビエト時代に建てられた一般的なアパートにも地下シェルターがあり、鉄の扉がある。1991年にソビエトが崩壊して以降、30年あまりにわたって物置になっていたという。しかし、皮肉なことに軍事侵攻以降はロシア軍の攻撃のために、再びシェルターとして使用されている。換気装置もそのまま。玉本さんの滞在中、1日3回から4回はサイレンが鳴ったという。
ウクライナではライフラインの破壊が後を絶たない。一般的に、戦争のイメージは爆弾を落として都市を破壊するというイメージだが、電気、水道などライフラインの破壊は極寒の国では生活が成り立たない。これが3日程度なら、何とか我慢できるだろう。しかし、1年も経てばどうなるのか。人々はそこを去るしかなく、その地域に人がいなくなることで、侵攻しやすくなるというのがロシア側の思惑だ。
ウクライナ南東部のザポリージャ原発。欧州最大規模の原子力発電所で、原子炉が6基あり、ウクライナの技術者が従事しているが、軍事侵攻以降はロシアの支配下にある。周囲では爆発が相次ぎ、こうした攻撃がロシアによるものか、ウクライナによるものか判然としていない。近隣住民は最悪の場合、放射能汚染にさいなまれる危険性もあり、戦々恐々としている。
■「なぜ、子どもが犠牲に…」
オデーサから南へ車で約2時間半、 黒海に面した保養地・セルヒーフカ。2022年7月、ロシア軍が襲った。9階建てのアパートは、ミサイルが炸裂して壁面が崩落。隣接する保養施設にも着弾し、合わせて22人が死亡した。
玉本さんは、そこで30代の男性と出会う。妻と子どもは軍事侵攻後にドイツへ避難した。 当時は母親と2人でこのアパートに住んでいた。ミサイル攻撃は夜中だった。男性はこの時、台所で、もらったばかりの子犬を洗っていたが、攻撃された窓側から離れていたため、ミサイルの直撃から逃れることができた。下の階に母親の知人女性が住んでいたため、助けに行ったところ、女性の腕は引きちぎられた状態で、息絶えたという。
そしてアパートの前の道路には、助けを求める人や負傷者など多くの人がいた。男性はそこで子どもの遺体を見た。その子どもは、いつもアパートの前にある遊具で遊んでいた。いつものあどけない姿が変わり果て、頭の半分が欠けていたという。
男性は「どうして、何の罪もない子どもが犠牲にならなくてはいけないのか。軍事施設も何もないこの場所で」と怒りをあらわにした。こうした悲惨な場面に遭遇すると、やはりドイツにいる妻子のことが気になる。戦争が長期化する中、国外に避難した家族に会えない。家族の将来を話し合う機会もない。
戦時下のウクライナでは、18歳から60歳の男性は国外へ出ることができない。ウクライナでは子どもが3人以上いる成人男性は出国が認められているが、この男性は子どもが2人で、それはかなわない。
出入国在留管理庁によると、日本に在留するウクライナからの避難者は2185人(2月15日現在・速報値)だが、帰国するケースもある。生活習慣の違いや言葉の壁、そして家族の分断は、経験しなければ理解できないことがうかがえる。
■幼い子どもを、トラウマが襲う