中国の旧正月・春節を迎えるにあたり、外国人観光客が増加する大阪。食い倒れの街として知られ様々な名物がありますが、その中でも代表的なものが「お好み焼き」ですよね。そんな大阪名物・お好み焼きの原型を作ったのが、有名な歴史上の人物だったことを知っていますか?
お好み焼の起源について、コナモン文化の普及と継承を目的に活動する『一般社団法人日本コナモン協会』会長・熊谷真菜さんに話を聞きました。
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熊谷さんによると、お好み焼きの起源は安土桃山時代にまで遡るそう。原型となったのは、小麦粉を水に溶き薄く焼いた菓子「フノヤキ」と言われています。この菓子を作った人物として記録に残っているのが、わび茶の大成者として知られる茶人・千利休です。古伝書『南方録』には、1585年に千利休が「フノヤキ」を作り、豊臣秀吉も食したと記録されているとのこと。
現在のお好み焼きの形になったのは、明治後半。西洋料理が日本に入ってきたことで、ハイカラな洋食への憧れから、メリケン粉・キャベツ・ソースを使った「洋食焼」と呼ばれる食べ物が誕生したことから始まります。この洋食焼きは、一銭で販売されていたことから「一銭焼」とも呼ばれていたそう。当時の日本では高級食材だったメリケン粉をかさ増しするためすりおろした山芋入れ、また、関西ではキャベツの値段が高くネギを使うこともあったためソースの代わりに醤油を合わせるなど知恵と工夫が凝らされていました。
やがて、当時は安価な豚バラ肉を具として使うようになり、現在のお好み焼きへと進化したもよう。「お客さんが喜ぶものを安く作る」という大阪商売人らしいスピリッツもあいまって、次第に地元で浸透していったお好み焼き。大阪名物として知られるようになったのは、1955年代(昭和30)後半から1965年代(昭和40)にかけてのことです。高度経済成長期の万国博覧会開催に伴い、大阪の名物として新聞などメディアでもお好み焼きが紹介されるようになり、全国的に認知され定着していったそう。
ちなみに、東京でよく食べられる「もんじゃ焼き」もフノヤキが元になっているとの見解が。ただ、現在の形になる前に食されていたという「文字焼」は葛飾北斎の『北斎漫画』に記載が残っており、江戸末期に登場したとも言われています。安土桃山時代にはすでにお好み焼きは存在していたと考えられているため、もんじゃ焼きは後発のものとしてとらえる意見もあるようです。
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食の歴史を辿ると、思わぬルーツを知ることができることもあります。味や見た目だけでなく、その料理が作られた背景などを知ると、ひと味違った楽しみ方ができるかもしれません。
(取材・文=迫田ヒロミ)