2025年は昭和が始まって100年の節目。中将タカノリ(シンガーソングライター・音楽評論家)と橋本菜津美(シンガーソングライター・インフルエンサー)が出演するラジオ番組では、【1970(昭和45)年前後が“昭和がもっとも昭和らしかった時代”】というテーマで、時代を象徴する音楽を紹介しつつトークを展開。途中からはゲストに「ザ・タイガース」のメンバーでドラマーの瞳みのるを迎えて当時の醍醐味などを語り合いました。

※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス 昭和100年SP』2025年4月29日放送回より
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 4月29日は「昭和の日」。今年は昭和が始まって100年の節目ということで、『昭和卍パラダイス』でも特番として昭和100年スペシャルを企画しました。
【中将タカノリ(以下「中将」)】 ずっと数えていたわけじゃないけど、いよいよかぁと思いますよね(笑)。最近、若い人たちの間で『昭和レトロ』が人気ですが、ひと口に昭和と言っても、いろいろあります。もっとも濃厚で、昭和が昭和らしかったのはいつか?と考えると、僕は昭和45年、1970年前後ではないかと思うんです。
【橋本】 当時の音楽シーンって、どんなだったのでしょうか?
【中将】 音楽面ではグループサウンズブームが終わり、フォークブームが隆盛。現代につながるアイドルシーンが形成され、歌謡曲もどんどんモダンになっていきました。形成高度経済成長の末期で、街はどんどん近代化され、音楽だけでなくファッション、カルチャーも飛躍的に盛んに、多彩になった時代です。
【橋本】 今、昭和が若い人たちにウケているのも、そういうパワフルな部分ですよね。
【中将】 そうですね。まず1曲目は、パワフルさが話題になった当時の大ヒット曲から。尾崎紀世彦さんで『また逢う日まで』(1971)。
【橋本】 昭和の日にふさわしい名曲ですね!
【中将】 今みんなこの曲を「昭和歌謡の代表曲」って思ってるでしょ? でも逆にリリース当時は、従来の歌謡曲とは一線を画す斬新な曲だと受け止められたそうです。欧米並みのパワフルな歌声もですが、歌詞のメッセージも新しかった。それまでの別れの曲ってもっとジメジメしていたり、男女の関係に封建的なものを感じたりするものが多かったんです。その点、『また逢う日まで』はどこまでも対等な関係の男女がキレイに別れるという歌ですから。
【橋本】 そうなんだ! あまりにも歌詞を自然にとらえてしまっていました。現代的な感覚を先取りした曲だったんですね!
【中将】 そうなんです。当時のヒット曲は封建的な人間関係からの解放を感じられるものが多いです。次に紹介する曲もその一つ。はしだのりひことクライマックスで『花嫁』(1971)。