《2》震災報道の検証 【8】管理面(バックアップ)からの総括
【8】管理面(バックアップ)からの総括
(1)地震発生時の状況
(前述の通り)
(2)地震発生後の指揮系統
●特別災害放送本部設置
(前述の通り)
●災害対策本部設置
1月18日全役員が揃い、緊急役員会開催。
社長を本部長とする災害対策本部設置。
・社員の安否ならびに家屋の被災状況の掌握。
・社屋及び関連施設の被災状況の点検依頼。
・災害放送の期間の設定。
(1/17 AM 6:00~1/20 AM 3:00 連続69時間)
・社員の身の安全確保及び放送継続のための緊急対策の検討。
・全壊した神戸営業局の事務所対策。
・災害義援金受付口座(さくら銀行)の開設と放送で募金の呼びかけを決定。
・被災社員への見舞金、臨時貸付金などについて決定。
●緊急避難対策
・スタジオ・事務所の本社屋からの緊急避難。
本社ビルは建設会社の診断の結果、余震次第では危険な状況との判断で、本社屋東側にある当社所有の4階建てテナントビルにオンエアースタジオ及び災害報道本部、本社機能を移すことを決定。
1月22日~23日引っ越しを実施し、1月24日より仮スタジオから放送を始める。
・鉄骨プレハブのシェルタースタジオ及びプレハブの仮事務所の建設。
社屋の被災状況の掌握、危険度の確認を行うが、補修のメドが立たず、長期化する可能性が出てきたため、上記の緊急避難対策と並行して、当社所有の有料駐車場の一部に、鉄骨プレハブのシェルタースタジオ及びラジオマスター1棟及び2階建てプレハブ事務所1棟の建設を役員会決定し、1月19日広島の業者に発注。
シェルタースタジオ‥‥1月25日工事着工、2月3日完成し、5日には機材を移設したが、スタジオの遮音が不完全のため、防音追加工事を行い、3月1日より放送開始。(シェルタースタジオ117と名付ける)
プレハブ仮事務所‥‥‥2月8日工事着工、2月20日完成。
23~24日引越を行い、本社機能を移す。
(3)社員の被害状況
地震後、直ちに総務より全社員の自宅へ電話による安否の問い合わせを行うが、電話回線の不通や被災して避難所へ避難した社員がいて連絡が取れず、全員の安否、家屋の被害状況が確認できたのは約1週間後であった。
●人的被害状況
本社社員 役員4名および出向社員12名を含む当社社員98名、常勤アルバイトは死亡、重傷もなく全員無事。
家屋の倒壊や家財の倒れで怪我人は数名いるが、いずれも軽傷で家族も無事。
関連会社 関連2社には役員3名、社員12名がいるが、死亡もなく全員無事。
●社員の家屋被災状況(持家、借家含む)
全壊 8人
半壊 10人
一部損傷 約30人
(4)建造物・設備の被害状況
●本社々屋(罹災証明書では全壊)
本社演奏所のある当社ビルは、住宅都市整備公団と区分所有のビルで、1~2階に当社演奏所および事務所・ホールがあり、3~12階が公団の市街地住宅となっている。
地震による被害は深刻で、ビルの支柱や外壁に亀裂が走り、特にスタジオ・事務所のある2階はかなりのダメージを受け、非常に危険な状態となった。
スタジオを囲む壁面は、コンクリートが大きくめくれたり、倒壊し、曲がった鉄骨・鉄筋がむきだしの状態。
10■近いスタジオの防音ガラスは各所で割れ、レコード棚、書類ロッカーが倒れ、また、正面玄関ロータリーや駐車場、建物周辺の路面は陥没し、悲惨な状況となった。
3階以上の公団住民には1月18日に避難勧告、1月23日には退去命令が出された。
1月19日、当社でも、社員の身の安全確保と放送業務遂行のため、前記の通り、テナントビルへの緊急避難と駐車場内に仮スタジオ及び仮事務所の建設を役員会決定し、業者に発注。
2月末には全ての移転が完了し、3月1日より仮設スタジオから放送を始めた。
●神戸営業局事務所(罹災証明書では全壊)
神戸営業局事務所は昨年10月にJR三宮駅西口の交通センタービルから、同じ三宮駅中央口南の一等地にある神戸新聞会館へ移転したところだが、両ビルとも今回の地震で壊滅的な被害を受け、神戸新聞会館は取壊しが決まった。
このため、神戸新聞社本体もハーバーランド内の日生ダイヤビルに移転が決まり、当社営業局も関連企業として同ビル内に入ることになり、1月25日移転完了。
同日より営業活動を再開した。
●淡路送信所(一部損壊)
当社の送信所は淡路島北端の津名郡淡路町岩屋にあったが、平成9年完成予定の明石海峡大橋による送信障害のため、送信所を同じ津名郡東浦町に移転することになり、昨年2月に新送信所建設工事に着工。
11月に完成し、11月23日から新送信所に切り替えて本放送を開始しており、震源地に最も近く位置しながら、わが国初の自立式アンテナ2基、送信局舎、送信機器とも新しいこともあって、無傷で被害なし。
ただ、液状化現象の影響で敷地内の地面が一部陥没、アンテナ周辺のフェンスが損傷を受けたが、不幸中の幸いというか、旧送信所の支線式アンテナ及び局舎は切り替え後ただちに解体撤去したため、アンテナ倒壊などによる付近民家への2次災害は免れた。
(5)社員の勤務状況など
●出勤・通勤状況
1月17日~18日は地震発生時に社内にいた社員(11名)の他、非常呼集で出勤した者ならびに比較的被害の少なかった市内の社員(約30名)が出勤し災害放送にあたる。
また、出社できない者は自宅近辺の被災状況や避難所の状況、また地元自治体や警察、消防署で取材した情報を電話でリポートする。
地震発生後、JR新幹線、在来線、阪急、阪神、神戸電鉄、山陽電車など全ての交通機関が完全ストップ。
また、阪神高速道路高架橋の倒壊、国道、一般道路の陥没や、ビル、家屋の倒壊による道路閉鎖で、道路事情、交通事情が極端に悪化し、マイカー通勤が困難な状況となる。
西は明石、東は尼崎、西宮からバイク、自転車、徒歩通勤など各々が個人で対応した。
大阪在住の社員の中には、船で淡路島経由でかけつけた者もいる。
JRは西から徐々に復旧回復し、1月23には西明石~須磨間が開通。
1月25日にはJR芦屋~三宮間で代替バスが運行開始。
また、1月27日からは東灘区青木まで阪神電車が復旧した。
地震発生以降、社員の足の確保が最も困難で、1月23日以降は10人乗りの社用車を毎日2往復、三宮~本社間に、また2月1日からは阪神青木~本社間に送迎バスを走らせて対応した。
●勤務状況
1月23日以降、JR西明石~須磨間の開通に伴い、西方向に在住の社員は出勤可能となるが、鉄道の復旧は長期化する見通しで、特に東から通勤している者は毎日出社が困難なため、1度出社すると2~3日会社に泊り込み、次の社員と交代して連休を取るなどの臨時の勤務ダイヤを組むように社内に指示を出す。
営業部員は神戸営業局事務所が立入禁止のため、本社や通勤可能な大阪、姫路支社などに出社し、スポンサー、代理店との連絡や、聴取者からの安否情報の電話受けに当たる。
総務局社員も数名ながら毎日出社し、ガレキの片付け、中継車の手配、社員の足の確保、食料や水の調達、車のガソリン、暖房用灯油、発電機の燃料の調達にあたった。
また、電算機に損傷が無かったため、給与計算や放送進行表の作成作業にもあたった。
1/17~1/31は臨時勤務体制とし、2月以降は順次通常勤務に戻す。
自宅被災復旧等のため休んだ者については、原則として年休処理とし、年休残の無いものについては特休扱いとする。
また、社が自宅待機を指示した者は、出勤扱いとした。
●重要書類などの管理
地震発生後、余震の恐れがあるため、重要書類・資料・会社の実印などを被害の少なかった総務部長宅へ一時緊急避難。
会社の実印、登記関係書類、株主関係資料リスト、株主総会記録
取締役会議事録、他社との契約書・覚書社員の履歴など人事労務資料、給与台帳など賃金資料、決算関係資料などの財務資料、資産台帳、会社設立後の歴史的資料など。
危険分散のため、財務・労務・営業の資料で電算機に入力しているデータの内、重要なものは、別のフロッピーにもうつす。
●食料・水の確保
1月17日~20日の間は、市内のコンビニ・スーパーなど食料品店に市民が殺到し、調達不能となる。
また、市内の道路は、陥没や家屋の倒壊で各所で寸断され、交通は麻痺状態となり、市内への食料品の補給、搬入ができず、流通は完全にストップ、大半の店が閉鎖。
このため近隣の三木市や小野市まで食料調達に出向く。
1月21日以降は、被害の少なかった社員や放送関係者、ゲスト、リスナーから次々と差し入れが届く。
また、泊り込み社員以外は各自弁当持参で出勤するように指示を出す。
水道・ガスは地震以後、完全にストップした。
飲料水については、断水を免れた社員が出社時にポリタンクで水を運んでくれる。
何より困ったのは、断水後の水洗便所の紙づまりで2ヶ所が使用不能になる。
水洗用の水の確保が困難を極めた。
社員が出勤時に、農業用水をトラックで運び、バケツで使用後流すという状況が続いた。
●宿直室・寝具の確保
当社の平常時の宿泊勤務者は2名のため、普段から寝具は十分に確保していなかった。
地震発生以降空調機が故障し、社内の暖房が完全に止まる。
社内にある全ての電気ストーブ、灯油のストーブで暖をとる。
また、災害放送のため毎日10数名が宿泊したため、宿直室のほか応接室や役員室を仮眠室とし、不足の毛布、布団等の寝具を調達したが、数が不足で社員に非常に寒い思いをさせた。
発生後直ちに近所の旅館や国道南側の国民宿舎などに宿泊場所の提供を申し入れたが、各々被災していたり、避難場所になっており断られる。
入浴については、1月21日以降、近くのホテルと交渉して、2週間にわたり、1部屋を確保。 番組ゲストの宿泊や社員の入浴が可能となる。
●電源の確保、中継車・発電機等の燃料確保。
本社のある神戸市須磨区は平常時は電源事情が非常によく、停電は皆無に近い状況であった。
また今回のような災害を想定し、受電系統は別ルートで2系統受電を行っていたが、震度7で全市停電ではなす術がなかった。(地震後30時間の停電は1回、20時間程度の停電が2回発生した。)
非常用発電機の燃料タンクは 450リットルの容量で、地震時 350リットルが残っていた。
約30時間は運転可能だが、ビル倒壊や火災の発生など2次災害が広まるに従い、停電復旧の目処が立たず、発電機の燃料が切れれば、放送もストップするといった状況の中、市内のガソリンスタンドはほとんどが閉鎖。
発電機の燃料、暖房用灯油、中継車のガソリンを求めて、軽トラックで被災を免れた西へ向かい、やっと加古川市で燃料を確保できた。
1月24日、近くのガソリンスタンドと交渉し、定期的な燃料補給と緊急時の優先的供給確保を図る。
●情報通信手段
・兵庫県が今回のような災害時の非常通信手段として、通信衛星を使った災害通信の情報ネットワークを約80億円かけて構築したが、基地局のある兵庫県庁が停電となり、また情報発信基地の発電機が故障し、システム全体が機能せず、端末局の当社にも情報が一切入って来なかったのは、今後に問題を残した。
・災害時に強いと言われている中波ラジオであるが、地震発生と同時にNTTの電話回線が、電話局の被災や停電及び電話の殺到で交換機がパンク状態となり、ほとんどが話し中の状態となる。
このため、最も手軽な電話による情報収集がほとんど出来なかった。
そんな中で電話リクエスト用に設置した7台の着信専用電話が生きており、リスナーから多数の情報が寄せられたことはありがたかった。
さらに、専用線が一度も不通にならなかったことで、災害時には交換機を通らない回線が強いことがわかった。
どちらにしても、災害時の情報伝達は無線しか無いと思っていた方がよい。
(6)地震発生3ヶ月以降の対応
・5月2日、ハーバーランド内に建設中の情報センタービルに新社屋移転を社内決定。
・住宅都市整備公団との間で本社ビルの補強、補修工事開始について合意。
工事開始に伴い、録音スタジオの確保が緊急課題となり、コンテナ型防音スタジオ2室を駐車場内に建設することを決定し、業者発注。
6月20日完成、音声機材をセットし、稼働。
・同じく補修工事開始に伴い、3.4GHz帯STLの送信機及びパラボラアンテナの移設が発生。
郵政省より緊急措置として期間限定で 67MHz帯への周波数移行が認められ、VHFアンテナを業者発注。
67MHz帯STL送受信装置については、昨年送信所移転前に使用していた機器を再使用する。
6月20日、STL変更検査合格、運用開始。
社自体が『全壊』という被害を受けながら、被災地の地元ラジオ局としてマスコミの使命である災害報道を全うし、災害時に強いAMラジオを実証できた裏には幾多のラッキーがあった。
(7)管理部門としての総括
・地震発生がウィークデーであったため、早朝にも関わらず生番組のスタッフが11名出社しており、午前6時には災害放送体制が組めた。
・交通機関ストップ、道路寸断の状況下にあって、当日正午の時点で31名の社員が出社し、被災現場の取材、安否情報の電話受け、放送設備の復旧や倒壊したコンクリート壁のガレキ処理にあたれた。
・社屋、放送設備が大きな被害を受けたなか、ハード面ではラジオの中枢であるマスター室と送出スタジオの被害が比較的軽微であったため、直ちに災害放送が開始できた。
・敷地内に当社所有の4階建テナントビルがあり、スタジオ及び本社機能を緊急避難できた。
・敷地内に仮設スタジオ、プレハブ事務所等を建設するスペース(駐車場)があった。
また、地震の翌日に建設を決定し、即日業者発注したため、約1ヶ月後には移転できた。
・送信所を昨年11月に移転、中波アンテナを従来の支線式から自立式に変更し、送信局舎及び放送機器も新設したため、震源地にありながら無傷であった。
また、移転後旧送信所の支線式アンテナ2基を直ちに解体撤去したため、アンテナ倒壊による付近民家への2次災害を免れた。
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