今日は祝日スペシャルとして・・
「おもしろタイトル歌謡曲」
を特集!
3号室は空(から)だった/フランク永井
昭和34年・ビクターから発売のシングル
この歌は『雨の国道7号線』のB面。
フランク永井は、日本テレビの『素人のど自慢』の・・
年間ベストワンに選ばれたのを機にビクターと契約。
昭和30年に『恋人よ我に帰れ』でデビュー。
昭和32年、『有楽町で逢いましょう』が空前のヒット。
既に発売していた『東京午前三時』『夜霧の第二国道』も相乗ヒットとなり・・
一躍トップスターとなる。
昭和34年の『東京ナイト・クラブ』は、デュエットソングの定番。
花は何故咲くのでしょう/石井千恵
昭和34年・キングから発売のシングル
三橋美智也『情け無用の男』のB面。
石井千恵は、昭和31年に『忘られた花』でデビュー。
雑誌「平凡」昭和32年から昭和37年の、人気歌手ベストテン入り。
昭和40年頃、結婚のため引退した。歌の上手さには定評があった。
パパは靴下が買えない/神戸一郎
昭和35年・日本コロムビアから発売のシングル
神戸市出身。西條遊児さんの幼馴染みで、高校まで同じだった。
芸名は、藤山一郎のような美声と歌の上手さから・・
「神戸の藤山一郎」…神戸一郎になった。
『コロムビア全国歌謡コンクール』で優勝し・・
昭和32年、『十代の恋よさようなら』でデビュー。
赤いヨットは死んでいた/美川鯛二
昭和37年・東芝から発売のシングル
美川鯛二とは、作曲家の中村泰士(たいじ)のこと。
奈良市出身の中村泰士は、高校在学中から・・
「内田裕也とロックブラザーズ」のボーカルをつとめていた。
昭和32年、美川鯛二として東芝から歌手デビュー。
昭43年、佐川満男の『今は幸せかい』で作曲家に転身した。
あんたこの世へ何しにきたの/畠山みどり
昭和38年・日本コロムビアから発売のシングル
昭和35年、素人のど自慢番組で優勝したことで・・
レコード会社の関係者の目に入り、日本コロムビアに入社。
入社後1年4ヶ月間、船村徹の下でレッスンに通う傍ら・・
島倉千代子などコロムビアの看板歌手の前座を務めた後・・
昭和37年、『恋は神代の昔か』でデビュー。
青いゴムゾーリ/バーブ佐竹
昭和42年・キングから発売のシングル
この歌は、『星が云ったよ』のB面。
バーブ佐竹は、流しのギター弾きやナイトクラブの専属歌手など・・
長い下積み生活を経て、昭和39年、『女心の唄』でデビューし・・
250万枚を超える大ヒットを記録。
1980年代、ラジオの深夜番組で『青いゴムゾーリ』が紹介され・・
テレビで放送されたのを機に、一部で話題になった。
そして昭和62年、A面とB面を入れ替え・・
『青いゴムゾーリ』をA面にして再発売された。
放送後一週間以内ならradikoのタイムフリーで聴けますよ!