第7回 岩崎和夫さん(2014年1月)
第7回のパーソナリティインタビューは、『岩崎和夫の情報アサイチ!』(金5:50~9:00)、『青春ラジメニア』(土19:00~22:00)にて、パーソナリティを務める岩崎和夫さんに登場いただきます!
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ラジオ関西では『岩崎和夫の情報アサイチ!』『青春ラジメニア』のパーソナリティをされていますが、どのように番組作りをされているのですか?
『岩崎和夫の情報アサイチ!』は情報番組、『青春ラジメニア』は音楽番組。
ジャンルは全く違いますが、基本的なスタンスは変わりません。
各番組、リスナーが何を望むのか、どんな情報を伝えたらいいのかを考えて番組を作っています。
60歳になって新人の経験をさせてもらっているような感覚ですね。
全くジャンルも違いますが、違いは出されていますか?
大きく違う点は、時間の流れ方ですね。『情報アサイチ!』はテンポ良く、時間の流れが速い。5分単位でコーナーが変わる時もあり、今まで経験したことのない速さで時間が過ぎていきます。
対照的に、『ラジメニア』はアニソンをフルコーラス流す以外は基本的に3時間フリー。トークやゲスト出演など、比較的ゆったりと時間が過ぎていきます。
今までゆったりした番組をしていたので、朝の情報番組を担当すると決まった時は戸惑いが多かったですね。時間のサイクルも違うので、番組開始当初は社長にも心配されていました。60歳になって新人の経験をさせてもらっているような感覚ですね。
アニソンは日本独特の文化で、カラオケで趣味思考関係なく、世代問わず盛り上がれるのもアニソンくらいだと思います。
『青春ラジメニア』の話を聞かせてください。
ラジメニアはアニソンに特化した番組ですが、放送開始当時は珍しかったのではないですか?
そうなんです。ラジオ関西のアナウンサー時代に、ナイターオフ番組を担当することがあり、その中で自分も好きだったアニソンを流すコーナーを始めたのです。そのコーナーには毎週リクエストハガキが多く届くので、番組にしたら面白いと思い、自分で企画書を書きました。その後、企画が採用され、放送を開始。企画、構成、喋り、編集まで全てを一人で行っていました。
今まで何度か番組打ち切りの危機もありましたが、色々な出会いもあり、今では『青春ラジメニア』と『アニメ玉手箱』合計で28年番組が続いています。
岩崎さんのアニソンを好きになった“キッカケ”は何ですか?
ハッキリとした“キッカケ”があったわけではないんです。アニメを見て育ったので、自分にとっては童謡みたいなものなのです。ずっと身近にあったし、気がつけば聞いていました。
アニソンは日本独特の文化で、ランキングの中にもアニソンがよく入っているし、カラオケで趣味思考関係なく、世代問わず盛り上がれるのもアニソンくらいだと思います。
アニソンは皆さんの身近にもあったのではないでしょうか。
話は変わりますが、元ラジオ関西のアナウンサーだったんですよね。
三上さんと同期だと聞きました。その後フリーへの転身。不安はありましたか?
はい、1979年にラジオ関西へ入社しました。
新卒入社ではなく、入社前は2年間教師をしていました。アナウンサーになりたいという夢があったので、仕事をしながら勉強もしていたのですが、そこでスポーツアナウンサーの応募の話があり、チャンスだと思い受けてみたところ…見事採用! ラジオ関西に入社することができました。
この時に一緒に入社したのが、三上公也アナウンサーです。当時は久々の新人が入社するということもあり、さまざまな噂が社内で飛び交っていたそうです。
局に勤めていれば、年数が経つにつれ役職が上がり、現場からは離れていきます。
私は生涯現役にこだわりたかったので、声がかかったときフリーに転身する決意をしました。もちろん、フリーになるには不安も多かったですが、独身だから決断できたのかもしれません。
今では、テレビのナレーションの仕事もさせていただいているので、仕事の幅も広がりフリーになってよかったと思っています。
災害現場ではラジオがどれだけ必要とされるのか身をもって体験しました。二度と経験したくないけれど、貴重な経験です。
阪神淡路大震災当時も局アナでしたよね。どうされていたのですか?
地震が起こり、両親の安否を確認してから家を6時過ぎには出ました。
何の情報もなかったので、東京辺りで地震が起こったんだと思っていました。会社へ向かう途中、須磨の離宮道を通ると、ビルや家屋が倒れていて、まわりの状況の異様さに「これはただごとではないな」と思いました。社内も物が倒れ、コンクリートの壁がはがれてむちゃくちゃ。まだまだ粉塵が舞う中、OAをしていたスタジオに飛び込みました。とにかく今見てきた状況を説明して、そこから丸2日間スタジオにこもりっきりで放送をし続けました。
時間が経つにつれ、人も集まり始め、各地からの社員の電話レポートを繋ぐなど、とにかく一つ一つ情報をさばいていったという感じです。社屋も全壊だったので、いつどうなるか分からない状況の中余震に怯えていましたが、スタジオに入ると不思議と怖くはありませんでした。
皆さんからいただく安否情報を放送し続け、災害現場ではラジオがどれだけ必要とされるのか身をもって体験しましたね。二度と経験したくないけれど、貴重な経験です。
“60歳”は年寄りで定年の歳のイメージでした。
今でも現役で仕事ができていることが本当にありがたいですね。
昨年は60歳になられました。還暦を迎えられていかがですか?
ラジオ関西でも還暦パーティをしてもらいましたが、まだまだ自分がその年齢になっていることが信じられないんです。今の自分の年齢は入社当時に年配だと思っていた人たち以上ですが、気持ちは入社当時と同じ。自分が還暦だということを認めたくありません。
若者向けの番組をやっているので特にそういう気持ちが強いのかもしれませんが、“60歳”は年寄りで定年の歳のイメージでした。自分がなってみてまだまだ若いと実感しているし、今でも現役で仕事ができていることが本当にありがたいですね。
若い方も自分が60歳になるのはずっと先だと思っていると思いますが、あっという間ですよ。
今後挑戦したいことなどあれば教えてください。
今の仕事をしていて色んな人と出会え、お付き合いができるのは本当にありがたい事だし、特別なことだと思っています。
ありがたいことに昨年の4月から『情報アサイチ!』をやらせてもらえているので、『ラジメニア』では出会えなかった人たちとの出会いを今後生かしていきたいと思っています。放送を通して色々な人との交流を広げ、今まで自分が挑戦しなかったことにも挑戦していきたいですね。
それと、元々ひとみしりの性格なので、それも克服したいと思っています。
【プロフィール】岩崎和夫
東京都出身。10月2日生まれのO型。1979年にラジオ関西入社。1986年からアニメソングに特化した『アニメ玉手箱』(現『青春ラジメニア』)を担当。2001年にフリーアナウンサーとなる。現在、ラジオ関西『岩崎和夫の情報アサイチ!』(金5:50~9:00)、『青春ラジメニア』(土19:00~22:00)にてパーソナリティを務める。
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