第29回 松原タニシさん(2019年2月)
第29回のパーソナリティインタビューは『松原タニシの生きる』(隔週日曜 25:00~25:30放送)でパーソナリティを務める松原タニシにご登場いただきます!
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話題の怪談集『事故物件怪談 恐い間取り』(二見書房)の著者、「事故物件住みます芸人」でおなじみ、松原タニシさんが、「生きる」をテーマに不思議体験や哲学を語る番組、『松原タニシの生きる』。ラジオ関西YouTubeチャンネルでも配信中の同番組は、配信限定となった幻の第2回で、いきなり4万6千回以上の再生回数を記録。また、各媒体でも取り上げられるなど、いま、注目度の高い芸人のひとり、松原タニシさんに、番組やラジオへの想いをお聞きしました。
ラジオ関西での番組出演は、神戸人であることを思い出させてくれる
神戸市垂水区出身ということですが、地元メディア、ラジオ関西は近しい存在だったのでは?
もちろん! 特に、バッファロー吾郎さんがラジオをされていたのをずっと聞いていました(『バッファロー吾郎の電波プロレス!WCR』)。あと小学生の頃に、作文で賞をとって、ラジオ関西に出させてもらったこともあります。
そのラジオ関西で、今は番組をされている心境については。
感慨深いというか、神戸人であることを思い出させてくれるような境遇をさせてもらっています。
タニシさんが出演されて思う、テレビとラジオの違いは?
全然違いますね。テレビは、たくさんの人がかかわっているメディアなので、決まっていることの一要素として、一役割として出ることのほうが多い印象です。ラジオというのは、自分の番組もそうですし、ゲスト出演させてもらっているときもそうですが、自分の話の組み立てで、その展開が広がっていくというのが、テレビと違うなと思います。とはいえ、自分としてはまだまだできていないなと思うところも多いのですが。ラジオは、ラジオのこわさもあり、意外と、ゼロからしゃべるのはすごく難しくて。しゃべっていて、「あれ、思った展開になっていないな……」とか、後悔は多いですね。でも、それを修正できないのが、ラジオのいいところでもあったりするのかなというのは、番組を持たせてもらって、すごい感じます。
「事故物件住みます芸人」への道について、ラジオが流れを作ったところもありますか。
そうですね。もともと、他局にはなるんですが、森脇健児さんのラジオに出させてもらっているとき、自分で話のネタを集めることを教えてもらいました。森脇さんが「今週何があった?」みたいな話を振って下さり、そこを自由に自分で組み立てたネタを喋っている時間が毎週あって、そこで自分はすごく鍛えられたところもあります。そして、今度は北野誠さんのテレビ(番組)で、事故物件に住むという企画があり、そこから今に至るのですが、ただ事故物件に住むだけって、実は何もネタが生まれないもの。そこで「こんなことがあった」、「そのときこう思った」など、言葉にして伝えるとき、以前のラジオの経験がすごく生きたんです。ラジオの経験がなければ、のうのうとただ、「人が死んだだけの現場にて暮らして、ただ怖かった」で終わらせてしまっていたのかもしれません。ラジオの経験がなければ、そのときの怖いという感情に、「なぜそう至ったか」とか、「(異)音が鳴った原因とは何だろう」とか、話をつなげることができなかったんだろうなと思いました。
ラジオでしゃべったエピソードというのはすごく役に立つ。
ラジオは、経験するたびに身についていくメディア
芸人さんとして舞台でやられている形と、ラジオとではまた違いますか。
違いますね。舞台や劇場というのは、前提で、自分のキャラクターであるとかを知ってくれたうえで(観客が)来てくれている。でも、ラジオは不特定多数の人が聴いてくれているという部分もすごいあって、まずは「はじめまして」のところから、端的に、わかりやすく、自分がいま何をしている人間かを紹介しつつ、あった出来事を紹介していかないといけない。それはラジオ独特なもの。だから、ラジオでしゃべったエピソードというのはすごく役に立ちます。初対面で会った人にも、「ラジオのときにこうしゃべったから、このまとまりでしゃべると伝えやすいな」というのもあり、経験するたびに身についていく媒体、メディアだなと思います。
さて、『松原タニシの生きる』番組スタート後、はや3カ月以上が経ちました。手ごたえは?
まだまだな部分が多いですね。性格的にというのもあるし、ピン芸人というのもあるのですが、本番直前にならないと(自らの話す中身が)固まらないというのがあって、ディレクターにも毎回すごく迷惑をかけてしまっています。ブースに入ってからも、ちょっとまだまだふわふわしているのもあって、それをなんとか直したいんですが……。まだ編集に助けてもらっている感じもあります。
ちなみに、事故物件に住むということもそうですが、怪談的な話の魅力についてはどう思われますか。
香辛料に近いものがあるのかなと。最初、受け付けないものが、恐怖ってすごい癖になるというか、スパイス的な感覚が、ある人にはあるというか。怪談好きな人はそれがすごく多いのかなと思います。
「何が正解かわからないけど、やってみよう」という気になれたことが、大きかった
タニシさんが実際に「事故物件住みます芸人」をやり始めたときの思いについて。
(最初は)むちゃくちゃイヤでしたが、いま思えば、本当にいいタイミングだったかなと。(芸人として)10年くらい、全然、「お笑いに裏切られる」といったら(言い方が)おかしいかもしれないですが、自分が面白いことを自分なりに探し求めても、それを評価するのは他人だなと、10年くらいたって、ようやく気付くんですよ。そうなったとき、答えがわからなくなってきていたんです。そのタイミングで「事故物件に住む」という機会をいただいたので、「何が正解かわからないけど、やってみよう」という気になれたことが、大きかったのかなと。そこでは「これは絶対やめておこう」という気にはならなかったですね。
以前は、怖さに過敏だったりしましたか?
怖いのは、怖かったですね。霊感があるわけではないはずなんですが。この「事故物件(住みます芸人)」で、人の生き死に、心霊的なところに足を踏み入れてから、すごいわかることが多くて。事故物件の場合だと、偶然かもしれないですが、「こういう亡くなり方だったから、こういう現象が起きたのかな」という部分があったりするんです。たとえば薬の過剰摂取でなくなった人のところに住んでいたとき、部屋に入るとすごい力が抜けるという現象があって、「これはなんか関係があるのかな」とか。あと、1つの部屋で2人が亡くなっているところがあって、そこに住んでいるとすごい頭が痛くなるんですが、これは、「亡くなった人の何か怨念的なことで頭が痛くなっているのか」、それとも、「もともと頭が痛くなる部屋だから、そこで亡くなってしまった人が2人もいるのか」、住んでみてそんなことを考えるようになりました。また、心霊スポットにいくと、そういった場所には、いまわしい歴史であったり、悲しい歴史というものがあって、昔の人がそれらを隠すためにというか、関わらせないために、「ここにはこんな幽霊が出るよ」と、子供たちだったり、人を近寄らせないようにしていたとか。そういうところからわかってくるのが面白いし、人間的だなと。そういう興味がどんどん湧いてきます。いわゆる「知りたい」というものですよね。
触れなかったものをのぞいてみたくなる探究心がわいてきましたか?
そうですね。そのなかで、大人になって、心霊スポットをいっぱい回ったり、事故物件にいっぱい住んだりしていると、地元って、そういえば、いっぱい古墳があるなということに最近気付かされたんです。神戸に住んでいるときも近くに大歳山遺跡というのがあって、竪穴式住居とかが復元されているんですが、そこは普通に小学校の頃とか友達と遊んだり、中学校の頃には友達とだべって(しゃべって)いたりした場所。そこに前方後円墳もあるんです。また、家の裏には舞子墓園というお墓があるんですが、そこに石谷の石窟という横穴式の古墳もある。地元が歴史的にもともとお墓のある地域だったんだなと。そういう意味では、(自らがやっていることは)あっていたのかもしれません。事故物件に住む前に、実はもともとお墓の上に住んでいたりしていたのかなと。そういったことがつながるのは面白いなと思います。
事故物件に住んで、(事故物件に住むことを)不謹慎と思うこと自体がどうなのという疑問がわきました
番組のタイトル、「生きる」について。事故物件というものを通して、生の実感、生の執着を感じられながら話しているところもありますか?
もともと、事故物件に住むって、イメージ的には不謹慎と思われる部分で、でも、実際に住んでいると、不謹慎と思うこと自体がどうなのという疑問がわきました。人は全然死んでいくものだし、現実、誰にも看取られずに死んでいく人もいっぱいいて、それを認めたうえで生きていくほうが普通であるべきというか、そういうことを思うようになって。だから、「生きる」というタイトルにさせてもらったのはありますね。人生の先輩方からしたら、「おまえは35、36歳くらいやし、まだまだ若いやん」ってすごい思われそうですが。どんどん歳をとるにつれて、自分が思い描いていた人生とは変わっていく、違っていくのを感じています。20歳のときにはこうなって、25でこうなって、30になったらこうなっているだろうとかっていうのと、全然思っていた人生じゃないほうに展開していく。でも、「それは自分だけじゃないよな」、「自分以外のやつもそうだろうな」と。幽霊だの、事故物件だの、死にまつわるものばかり向かっていたら、自分もそっちに全然向かっているんだなというのもありますし、歳をとると、(必然的に)死へ向かっていくものですが、そう考えると、だからこそ、もっと「生きること」を大事にしないといけない、楽しまないといけない気がしていますね。
「事故物件に住む」という経験をしてから、生活の端々も変わってきましたか。
余計なことは考えないようになってきたというか、「時間がもったいない」と。どうしても、嫌いな人、嫌な人って絶対にいると思うんですが、その人のことを考えていてももったいないなと思ったりとか。そう思うと、逆にすっきりしてきたところはあります。
ちなみに、余生何年とか言われた話もありましたが、そういうことを意識したりしますか。
逆にいいきっかけだなと。別に(予言を)100%信じているわけでもないし、そういうのも乗り越えていくというのが好きで、心霊スポットを乗り越えるのもそうですが、寿命何年とかいわれて、「いや、全然生きるし!」とか思っちゃうので。逆に面白いなと、ありがたいなと、そういうきっかけをくれて。でも、そういわれることで、逆に死を意識して、生を大切にするという意識が働くというか。それはありがたいなと思います。
それでは、最後に、番組リスナー、そして、このインタビューの読者へメッセージをお願いします。
「生きる」というタイトルですが、「こう生きたほうがいいですよ」とか、「皆さんこうしましょう」というのはまったくなくて。僕が本当に、皆さんに向けてだったり、自分自身に向けてしゃべりながら自分に反芻しているというか、そういうのを自由にさせてもらっているラジオなので。それを、聴いてもらって、もしリスナーさん自身になにか共感、共鳴してもらえる部分があるのならば、うれしいというか、共感してくれてありがとう、という思いです。
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