第32回 加藤登紀子さん(2019年12月)
第32回のパーソナリティーインタビューは、『加藤登紀子の地球に乾杯!』(毎週月曜 19:00~19:30放送)でパーソナリティを務める加藤登紀子さん(2019年12月)にご登場いただきます!
歌手の加藤登紀子さんが、同じく歌手で次女のYaeさんとともに「自然の良さを伝えながら、それを守っていくにはどうしたらよいか? だからこそ、真剣に地球環境全体について考えていく」というコンセプトのもとでお送りしているラジオ番組『加藤登紀子の地球に乾杯!』。スタートして12年が経つ長寿番組を続ける思い、そして、デビュー55周年を迎える心境などについて、パーソナリティの加藤登紀子さんにお話をうかがいました。
Yaeとは、このラジオの番組で対話という場を持てたので、この12年間、すごく貴重な時間でした
『加藤登紀子の地球に乾杯!』放送開始から12年が経ちました。この番組は、加藤さんにとってどんな存在でしょうか。
私にとって、(この番組は)「娘との対話」の場でもあるので。12年というのは、孫である、Yaeの子どもたちが生まれたばかりのときから、成長していく年月とイコールなのね。そして、歌手生活として55年という節目みたいなものを迎えていますが、そのなかで、川に例えていうと、ひとつ(本流の)川があるとすれば、ちょっと違う、小川の流れみたいなものが私のなかにできて、それがこの番組のレギュラー(毎週の放送)だったような気がします。そこはさやさやと、いつも楽しい流れがあって、「ちょっと遊んでらっしゃい」といわれているような小川で、そこでは、くつろいで娘としゃべったり、孫と出会ったり、リスナーの人たちとも話しあっていたような感じかな。そういった意味でも、すごく愛おしい感じがする番組です。
Yaeさんとの共演についての思いを聞かせてください。
この番組がなかったら、お互いどうだったかなというのは、ちょっと読めませんね。私のなかですごく大事な対話の場になってきたので。親子ってこんなに知らないことが多いのかと改めて思いますし、「こんなこと話したことなかったね」とか。
次女のYaeはとても反抗期が長かったというか、彼女も「バリアを立てていた」というんです。でも、逆にいうと、小さいころからのエピソードというか、あのときにああいう会話をしていたとか、いろんなことを思い出すのは、Yaeのことばかりなんですね……。
母としては、歌手として成功してねと思ってYaeを歌手にしたわけではなくて、これこそ、いつの間にか運命の流れがそうさせたのねというように、彼女が歌手を選んだ。だから、できるだけそばにいかないようにしていたところもあったかなと。Yaeは最初のデビューアルバムを出したとき、マスタリングが終わるまで(楽曲を)一切聴かせてくれなかった。曲作りの相談もなかったし、ボーカル録音もまったく立ち会わなかった。周りからも、「お母さんはいいの?」、「歌入れのときは来ないの?」と言われたらしいのですが、Yaeは「ひとこと言われちゃうと、発言力は無視できないし、自分もみんなも左右されるし、だから封印したのよ」と言っていました。それはそれでビックリしましたが。距離の置き方みたいなものも、Yaeとの関係では、すごく真剣に見つめていました。
それでも、Yaeとは、このラジオの番組で対話という場を持てたので、この12年間、そういう意味でも、すごく貴重な時間でした。やっと昨年、言うことを聞いてみてもいいなと、Yaeが思ってくれるようになって(笑)、(歌手として)ちょっと一緒に仕事をすることになり、プロデュースを私がして、Yaeの歌を選曲して、コンサートをひとつ作ったんです。私はそういう段階になったときは、アーティスト同士としての対等な関係でいきたいなと思って、 “対等な関係でやれるね”という足腰がYaeにもちょっとできてきたかなと。おかげさまで(番組をともに作り上げた)この12年がちょっと効いたかなと思います。
このラジオの番組は、私にとってはとても貴重な、唯一無二の媒体
この番組を放送するラジオのメディアというのは、加藤さんにとってどのようなものですか。
最初に『地球に乾杯』というタイトルをつけたとき、私はUNEP国連環境計画の大使として世界中を歩いていたときでした。「こんなに地球を見て生きているから、皆さんに世界で見てきたこと、地球環境についてお話、お伝えしたい」と思っていたなか、このラジオの番組は、私にとってはとても貴重な、唯一無二の媒体になりました。いつも決まった場所に帰ってきて、「ねえねえ……」と報告できるというのは、すごく大きなことで、大事なページをつづる場所になりました。
私の夫(故・藤本敏夫さん)も70年代あたりから地球環境のことをずっと言ってきたのですが、なかなか地球環境(問題)というのが、世の中の一番の話題になることがなかった時代が続いていました。ですが、やっとこの番組を通して、『地球に乾杯』ということで、環境問題をちゃんとしゃべっていきましょうということが前面に出せて、すごくうれしかった。そして、今は日常会話のなかでも、(地球環境について)ちょっと知っておかないとまずいなというようにもなっていると思います。そういう出来事が起こるようになってきましたし。
今後、この番組で伝えたいことを教えてください。
子育て真っ最中のYaeと番組を作っているなかで、時代の真っただ中を現役世代で生きているYaeと、いろいろ何十年分か見てきた世代の私とが対話することは、すごく大事なことだと思うんです。あまり偉そうにいうつもりはないけれど、この番組でそれができたことが、私にとってすごく大事だったというのは、皆さんにぜひ感謝したいし、これからもお伝えしたいことです。
結果として面白かったのは、好きじゃないことは、全然、仕事として成功していないこと
歌手・加藤登紀子の55年は、いかがでしたか。
めちゃくちゃ面白かったです! 時代を、半世紀以上見てきたわけだから、歌手として。こんなにすごいドキュメンタリーはないですよね。音楽シーンもどんどん移り変わる時代を見てきて、その都度、若い世代を代表するアーティストと出会ってきて、勉強、社会見学をしながら(笑)、刺激を受けながらやってきました。それが歳を取っていくということでもあるけど。違う時代とぶつかり、ぶつかり、ぶつかりしながら歩いてきました。私も、あらがいながら、私なりに、こんなのはイヤだとか、私ってなんてダメなんだとか、こんなにいいと思ってもみんなに認めてくれないとか、もどかしいときもありました。あんなに頑張ったけど足跡を残せなかったこともあるし、作ったけど、ほとんど歌っていない歌もあります。だから、いろんなことはあるけれど、ひとつだけ、なんとなく結果として面白かったのは、好きじゃないことは、全然、仕事として成功していないこと。お客さんも選ばなかったということ。だから、やっぱり人は好きなことをしなきゃダメだと!(笑) いやだなと思いながら頑張ったことは、ほとんど私のキャリアに足跡を残していないんです。
また、目上の人、力のある人を大事にして、近付いて、よろしくお願いしますと言わなきゃいけないものかもしれないけど、そういうところでも、あまりうまくいっていない(苦笑)。私は、偉い人というのは、力を貸してくれないものだと思います。偉い人はうっかり近づくと利用されます。でも、偉い人って、あまり力を貸してくれないもの。だって偉すぎちゃって、何百人もがお願いをしてくるなか、うっかり相談に乗ると、この人にもあの人にもどうするんだとなるので。偉い人ほど力になってくれない……、これは教訓だ(笑)。だから、そこまで偉くない人が大事。ちゃんと力を貸してくれる人は、お互いにちょっと困っていたり、お互いに悩みを抱えながら何かしようとしているんです。伴走者というか、近くにいる、ちょっと偉い人は大事。超えらい人はどうでもいい(笑)。ちょっと近いところで同じように悩み頑張っている人がいっぱい力をくれます。ヒントをくれたり、それは絶対ですね、仕事の経験としても。
「加藤登紀子ほろ酔いコンサート」の模様より
計算高くないライブのやりかた、それが「ほろ酔いコンサート」だと思っているので
毎年恒例となっている「ほろ酔いコンサート」について、今回はどのような思いで臨まれますか。
47年も経っていますが、私にとって「ほろ酔いコンサート」のステージに立つというのは、最初からすごいこと。ドキドキするし、初勝負だし、真剣勝負。それをずっとやってきて、このステージでは、いつも振り出しに戻れるような気がしています。私にとって、歌手としてすごい未熟な頃からの挑戦で、そのときの挑戦したときの気持ち、奮い立つような気持ちみたいなものが、私のなかですごく残っています。毎年、そこへ戻って、「また奮い立とうか」という思いでやっています。私自身、年齢とともに、もちろん何かが変化しているんだけど、「ほろ酔いコンサート」に立つ気持ちはあまり変わっていないです。
一昨年、5枚組で、74年の本当に初期のころの、カセットで盗み撮りみたいな音も含めて入れていたアルバムボックス(「超録 加藤登紀子ほろ酔いコンサート 20世紀編」)を出したのは、「ほろ酔いコンサート」というのはそういう原点から生まれてくるものだと思ったからです。21世紀になったくらいから、録音もよくなったり、なにか音楽の完成度も高くなってきちゃって、それでつまんなくなったところもあって……(笑)。「ギターも下手なのに弾いているね」というような、ああいう計算高くないライブのやりかた、それが(本来の)「ほろ酔いコンサート」だと私は思っていますので。
そのあと、オーチャード(ホール)やフェス(ティバルホール)でやるのは、相当「どうだ!」という完成度の高いものを見せなくちゃいけない。それはそれで必要なこと。でも、21世紀くらいになると、違いをもうちょっとちゃんとしようというのは、一昨年アルバムを出したときに思ったわけ。だから、あえて「ほろ酔いコンサート」は、毎年、1971年に戻っているというものだと思って、聴いてほしいなと思うのです。
さっき偉くなるという言葉を使ったけど、みんな少しくらいは偉くなるわけ、だんだん。そうすると、「そんなことしちゃだめです」となるでしょ。でも、そういうふうになったらつまんないじゃん! そんな、ある程度のステイタスみたいなものが出てくると、人間って不自由になるのかしら。不自由になるようなステイタスだったら、いらない、ないほうがいい。それは、私の周りにいた人たちが、「だんだんと階段を上がっていくように上に上がっていったりして、下に降りられないようではだめだ。いつも下に降りて、地べたをはっているような、地べたに座っているような、そういう歌手でいろよ」というメッセージを残してくれて、それとともに、「ほろ酔いコンサート」を始めたわけだから。
たとえば、あるとき、(「ほろ酔いコンサート」の告知について)「キャンペーンとかまだやるんですか……」とか言われたこともあったけど、この情報は知らない人は知らないもの。新人でなかなか知ってもらえないときとかはよくあることですが、ある程度知っている人もいるかなとなっても、やっぱり足で動かなきゃと思うんです。それは私が好きだからそうしています。好きなように生きればいいんです! よく思うんです、そんなことをしてステイタスがどうとか、よく言われるのですが、時々自分に対して言いますよ、「いいのよ好きだったら、楽しかったらいいのよ!」と。
「加藤登紀子ほろ酔いコンサート」の模様より
神戸の人は、独特。主張もカラーも強くて、それが私はすごく自由に感じる
多可町でのイベントや、ラジオ関西など、なじみ深い兵庫県への思いについて。また、リスナーへのメッセージもいただけますでしょうか。
大阪でずっとほろ酔いコンサートをやってきていますが、私のファンになる人は、阪神地区が多いの。私の夫が兵庫県甲子園の生まれで、私の友達もすごく兵庫県に多い。その理由はよくわからなくて……、関西の人に聞いてみたい、「どうしてなの?」と。でも、地元度が大阪の人よりは自由なのかも。「日本人は粟おこしみたいに、『ガシっ』とくっついている。これをほどくのは大変」といった人がいましたが、大阪の人はガシっと、粟おこし的な“らしさ”が強いよね。それはまた猛烈にすごいパワーで、おこしも含めて大好きなところ。でも、なんとなくちょっと東京より横浜とか、大阪より神戸とか、ちょっと外枠にいる人のほうが気が合うところもあるかもしれない。だから、(兵庫県は)すごく好きです。
そして、「神戸の人は、独特なのね」と、いつも思います。いい意味で自分勝手。すぐ急いで隣の人にあわせたりしない。主張もカラーも強くて、それが私はすごく自由に感じるんです。「自分を出してもいいよね」とか、お互いが「どんどん出しなさい、どんどん好きにやんなさい」みたいなところを感じるところだから、このラジオの番組を続けさせてもらっても「大丈夫よ」と言ってもらっているような気がしております。皆さんも好き勝手に楽しみながら生きましょうね!
「加藤登紀子ほろ酔いコンサート2019」12月の主な予定(関西・東京)
12月1日(日)/梅田芸術劇場メインホール(大阪)
12月17日(火)/ロームシアター京都 サウスホール(京都)
12月28日(土)、29日(日)/ヒューリックホール東京(有楽町)
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