「天皇制の存続 ・国体護持を条件とするものなのか、特に陸軍サイドから連合国側に質問し直せとの意見が出て、議論に時間がかかった。2度にわたる御前会議で天皇自身が連合国側の要求を受け入れると表明して、ポツダム宣言の受諾が決まった。これが 8月14日。いきなり天皇に政治的な発言をさせるわけにいかない、政治的責任を天皇に負わせられないというのが本音であり、周到な準備と根回し、これが最重要だった。政治的な意思決定をする人々、すなわち権力者は、当時の戦火、現場で起きている血なまぐさい出来事とは裏腹にリアルな感覚が欠けていた。それが戦争というものなのではないか」
■昭和は遠くなりにけり
照屋さんの母校であり、京橋駅にほど近い大阪市立聖賢小学校では毎年、平和学習に取り組んでいる。今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、小学校は長期休校になり、照屋さんを招いての平和学習は中止となったが、照屋さんは地元の『語り部』として、子どもたちに戦争当時の様子を伝えている。またボランティアグループ「ひまわり」を結成、より分かりやすく、有志がアコーディオンやハーモニカなども交えて紙芝居で平和を訴える。
「かつて明治は遠くなりにけり、といわれましたが、今では『昭和は遠くなりにけり』ですな。隔世の感があります」
空襲、学徒動員、学童疎開、B29…こうした言葉が子どもたちに通じない。やはり敗戦から75年、子どもたちの祖父母が、戦後世代であり戦争を直接体験していない。風化が急激に進んでいると感じている。
「私たちは子どもの頃から、日本は一等国で、優秀な民族。敵国は『鬼畜米英』と呼ぶように教えられた。(日本の)国民は明けても暮れても、ラジオのニュースを聴けばあらゆる戦地で連戦連勝と伝えられてましたから。しかしそれは当時の国が、軍部が、そうやって国民を煽動して統制していたに過ぎないんです。事実とは違うことを信じ込まされていた。私は子どもたちに戦争の話をするとき、必ず最後に『今のうちにしっかり勉強してほしい』と話します。真実を見抜く眼を持ってほしいのです」
今年4月、2人目のひ孫の女の子が生まれた。しかし新型コロナウイルスの影響で尼崎市に住む20代の孫夫婦とは行き来できず、8月まで会えなかった。また依頼があった語り部としての活動も、コロナの影響で大半がキャンセルになった。それでも「私は命ある限り、戦争の愚かさと平和の尊さを伝えていきますよ。孫やひ孫たちの世代へ平和な社会を残すために」そう誓う。