洋楽ロックの流行と密接に寄り添っていた80年代の音楽シーン。沢田研二がバックバンド「EXOTICS(エキゾティクス)」とともに1980年代前半に放ったセンセーショナルな楽曲の数々について、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が紹介します。
【中将タカノリ(以下「中将」)】 というわけで今回は沢田研二さんの特集なんですが、僕はこの番組(ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』)で沢田さんを扱うのがちょっと嫌だったんですよ。
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 えっ!? 中将さんと言えば沢田さんってくらい、いっぱい評論や記事書いてるのに……。
【中将】 みんなそう思ってるじゃないですか。だから僕が新番組始めると「どうせジュリーのことしゃべるんやろ」と思った人が多いと思うんです。それがシャクでね。
実際、沢田さんのことしゃべったらある程度、数字は取れるんだけど、そこに頼りたくなかった。あくまで僕と菜津美ちゃんのおしゃべりがこの番組の芯なので、沢田さんしか欲しくないような層には聴いてほしくなかったんです。で、半年経ってようやくこの番組もよそのメディアや5ちゃんねるで取り上げられるようになってきたので、そろそろいいかと思って、満を持してジュリーの話題を解禁するわけです。
【橋本】 なるほど!
【中将】 前置きが長くなっちゃいましたが、今回特集するのは沢田さんのキャリアの中でも1981年から1984年の、「EXOTICS」というバックバンドと活動した時期です。
【橋本】 私の中の沢田さん知識は、ほとんど中将さんによるものなので、勉強させてもらいます!
【中将】 沢田さんには1971年のソロデビュー以来、井上堯之バンドという気ごころの知れたメンバーがバックについていました。「時の過ぎゆくままに」(1975)や「勝手にしやがれ」(1977)など大ヒットを連発して全盛期を迎えるんですが、井上堯之バンドはいろいろあって1980年に解散。新たなバックバンドとして吉田建さん(ベース)、柴山和彦さん(ギター)ら気鋭のミュージシャンを中心としたEXOTICSを作ります。