新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、江戸時代に出現した疫病除けの妖怪「アマビエ」が知られるようになった。中国・道教で疫病や病魔をはらう鬼神「鍾馗(しょうき)」も、唐の玄宗皇帝の夢に現れ病魔を払ったという伝説があり、日本では端午の節句に男の子の健やかな成長を願って五月人形として飾られる。しかし、存在そのものが疫病除けとして信仰を集めた高僧が平安時代の日本にいた。文豪・谷崎潤一郎はその生誕地へ訪れる夢を果たせなかった。「アマビエ」でもない「鍾馗」でもない、実在した人物が霊験者として魔除けとなった「角大師(つのだいし)」が注目されている。この人物は「正月三日」が命日。それゆえに「元三大師(がんざんだいし)」と呼ばれる。いったい何者なのか……。
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京都の町家や滋賀県大津・坂本の民家の軒先で、やせ細った夜叉(やしゃ)の姿が描かれた護符をよく見かける。目はくりっとして愛らしい。これが角大師(つのだいし)。平安時代に活躍した僧、良源(912~985)のことだ。魔を滅する魔滅(まめ)大師=豆大師とも呼ばれ、様々な伝説があるという。良源は912年(延喜12年)近江国浅井郡虎姫(現・滋賀県長浜市)に生まれ、宇多天皇の御落胤(私生児)とも、菅原道真ゆかりの子であるとも伝わる。
良源は、12歳で比叡山に登り修行、17歳で受戒、55歳の時に第18代天台座主となった。天皇家や摂関家の帰依を受け、985(寛和2)年1月3日、74歳で没した。
諡号(おくり名)は慈慧(じえ)。良源は、比叡山を開創した伝教大師・最澄の直系の弟子ではなく、身分も高くはなかったとされるが、南都(奈良)の高僧と法論で論破したり、村上天皇の皇后の安産祈願を行うなどして天台座主の地位に就く。座主の位についた直後には比叡山を包む大火が襲ったが、根本中堂をはじめ延暦寺諸堂の復興に尽力、「比叡山中興の祖」とも称される。
こうしたことから平安時代後期から鎌倉時代にかけて良源に関する説話集が作られた。説話には角大師を描いたお札・護符を家の内に貼っておくと疫病神から逃れることができるとの記述もある。
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生誕地とされる玉泉寺(滋賀県長浜市三川町)の吉田慈敬住職は、新型コロナウイルス感染拡大の収束を願い、疫神病除(やくしんやまいよけ)の護符を復刻させた。