ラジオ福島の元アナウンサー、大和田新さん(現、フリーアナウンサー)。2011年3月11日に起きた「東北地方・太平洋沖地震」について、当時、様々な情報を発信する役割を担っていた貴重な伝え手の1人に、お話をうかがった。インタビューの後編では、当時経験したこと、福島県の未来や今後へ伝えていきたいことについて思いを明かした。
◆大和田さんから見た、当時の福島県とは
――災害時や有事の際におけるラジオの役割について、どうお考えでしょうか?
開局して60年、ラジオ福島とリスナーとの間をつないでいるのは信頼関係だということで、リスナーから寄せられた情報は全部報道しようと、みんなで決めたんですよ。疑わないようにして。そうしたら、すごく気持ちが楽になったんですね。
今も忘れられないメールがあるんですが「自分の子どもが重い病気、心臓病で、薬がもうない。受け入れてくれる病院はありませんか?」とメールが来て、私たちもその地域の病院に電話をしてみるんですが、電気も水道も止まっている状況で、やはり対応できる病院がなかった。それを放送で呼びかけたら「私も同じような心臓の病気を抱えていて、1か月分の薬があります。私の薬が合うかどうかわかりませんが、とりあえず私の薬を差し上げますから、住所を教えてください」というメールがきたのです。
それを見て、私たちスタッフが集まって、「これは放送して良いんだろうか?」と相談したんですよね。本当にその薬が合うのか分からないですし、一番危惧したのは、薬を持ってこられた際、「はい、薬です。お薬代は100万円です」なんて言われたらどうするんだと考えたりもしたのです。
放送を反対したスタッフもいました。ですが、「ラジオ福島という放送局は、リスナーと信頼関係でこれまでやってきた。リスナーさんは嘘をつかない、だから放送しよう」と決めたんです。それ以降、リスナーの情報は100パーセント放送するようにしたんですね、全く疑わずに。それで、(心持ちが)すごく楽になったのを覚えています。
――リスナーは噓をつかないという心境でしゃべっているアナウンサーの言葉は、受け手にとっても、まったく違う(受け入れやすい)ものになるでしょうね。
そうですね、お互いの信頼関係があるからこそですね。