日本列島、本州を陸路で縦走しようとすると、必ず通らなければならない県が1つだけある。それが兵庫県。兵庫県はかつて、摂津・丹波・但馬・播磨・淡路の旧五国から構成され、多くの文化が入り混じっていた。そのようなことから2010年代には「ヒョーゴスラビア」という表現が登場。かつてヨーロッパにあった多くの文化が混ざり合った国「ユーゴスラビア」になぞらえたものだ。
2020年からのコロナ禍で、日本では「都道府県をまたいだ移動の自粛」が求められ、これまで以上に「県境」が意識されるようになった。では実際はどうなのか? 県境付近に住む人の意識は? 兵庫県「ヒョーゴスラビア」の旧五国ごとに県境付近を訪ねた。第5回は、「摂津」。
<その5>摂津
兵庫県では神戸市・三田市から東側のエリアで、大阪府の北摂地域も含まれる「摂津国」。かつて日宋貿易の拠点として、明治維新後は日本を代表する港として栄えた。現在は空の港・大阪国際空港、通称・伊丹空港がある。南東部は尼崎が大阪市と接している。通勤や通学など日頃から人の行き来が多い。
兵庫県でありがながら、市外局番は大阪の「06」で、何かと大阪というイメージがついて回るのが尼崎。阪神電車「尼崎」駅前で話を聞くと、「県境ということはない。(尼崎は)大阪やと思ってる。尼に住んでるから尼っ子」「兵庫というと神戸が中心かなという思いから、尼崎は神戸とは違うなと。尼は尼、みたいな」という声が返ってきた。尼崎愛が強い。
大阪側、大阪市西淀川区でも「県境は意識しない。『尼崎は大阪』に近いものがある。くくりは同じ」。
旅行先で「どこからきましたか?」と聞かれると、尼崎の人は「大阪」、西淀川区の人は「尼」と答えることもあるという。この辺りでは「県境」の意識はないようだ。
このことは地形からもうかがえるところがある。尼崎市の北東部には園田地区と大阪府豊中市が入り組んだ地域がある。ここの県境は猪名川で、地域を「まっすぐ」流れている。かつてはくねくねとS字状に流れていたが、水害があり、川をまっすぐにしたという。県境はかつての猪名川なので、尼崎の一角に豊中が入り込んでいるという状況が残った。日常の生活では県境は意識しないが、突然大阪府の標識があったり、震災時には、身近なエリアの中で断水しているところとそうでないところが存在したという。
また、県境マニアとして本も出版しているフリーライターの西村まさゆきさんによると、「大阪国際空港の中に県境が存在する。ターミナルの中にある派出所の中に兵庫県警・大阪府警が詰めている。また、能勢の妙見山にある寺院は鳥居の真ん中に府県境が走っている。なぜこうなっているんだろうと調べてみると、それなりのいわれがあり、現地へ行って確かめるのが楽しい」という。
◆『BORDER~ヒョーゴスラビアにおける県境とは』アーカイブ記事
(1)淡路…淡路に「阿波踊り」の文化が残る地域も?!
(2)播磨…「備前」なのに、兵庫!?
(3)但馬…獅子舞と“ステッカー”がつないだ地元意識
(4)丹波…ライバル意識バチバチの兵庫と京都 でも“大河”では結束