CRKラジオ関西

  • radiko.jp いますぐラジオ関西を聴く

田辺眞人のまっこと!ラジオ

番組内容

わたしたちが暮らす街には、実はとっても深い歴史や文化があります!
「兵庫・神戸のヒストリアン」田辺眞人と中野加奈子が兵庫の街の話題や歴史をシンプルに解説しながら続々と発信していきます。

放送は終了しました。ご愛聴いただき、ありがとうございました。

  • 2019年2月17日(日) 12時36分

    19/02/17 ゲスト:澤井洋子さん

    今日はゲストに兵庫県俳句協会 会長 澤井洋子さんにお越しいただきました。

     

    <ラジオレクチャー>

    1925年の今日ツタンカーメン王のミイラが発見されました。

    ツタンカーメン王が収めたエジプトはオリエント文明の中心で、エジプトとはナイル川の谷間に出来た都市だったのです。そのほかの所は砂漠で、エジプトから出ると生きていけない事から「エジプトはナイルの賜物」と言われています。

    エジプトはもともと多神教の国で、ファラオも神様とみなされていました。

    しかしツタンカーメンの父親のアメンホテプ4世は、一神教を唱え始めその考えを推し進めていたので、ツタンカーメンも即位した当初は、ツタンカートン(アトン神の生きた似姿)と名乗っていましたが、その後多神教のアメン神信仰を復活させたためにツタンカーメン(アメン新の生きた似姿)を名乗るようになったのです。

    エジプトというと、ピラミッドが有名ですが、ピラミッドが作られていたのは紀元前2700年から紀元前2500年頃までの短い期間だったのです。

    エジプトにはピラミッドや王家の墓などまだまだ謎に包まれた物が多く、ロマンを感じますよね。

  • 2019年2月3日(日) 13時09分

    19/02/03 ゲスト:吉江麻樹さん

    今日はゲストに兵庫県立ピッコロ劇団の女優「吉江麻樹」さんにお越しいただきました。

     

    <ラジオレクチャー>

    2月3日は節分。

    節分とは季節を分ける日の事なので、正確には立春、立夏、立秋、立冬の前の日の事を指し、したがって1年に4回あるんです。

    ですが、日本ではその立春の前の日だけを取り上げて節分と呼んでいるんですね。

    節分に豆をまくのは新しい年を迎えるに際し、力のある食べ物をまくことで、悪いものを遠ざけていたのです。

    鰯や柊を家の前に飾るのは、尋常ではないものには邪気を払う力があると考えられていて、尋常ではない葉っぱの柊、腐って尋常ではない匂いを放つ鰯を飾ることで邪気を払っているのです。

    この風習は少なくなってきていますが、兵庫県内では昔近衛の領地だった伊丹市では多く残っているんです。

    また、平賀源内が浄瑠璃の台本を書くときのペンネームが「福内鬼外」なんです。

    皆さんも邪気を払って、新しい季節を呼び込んでくださいね。

  • 2019年1月27日(日) 12時23分

    19/01/27 ゲスト:新宮晋さん

    今日はゲストに造形作家の新宮晋さんにお越しいただきました。

     

     

    【ラジオレクチャー】

    1月27日はアウシュビッツ収容所の解放の日です。

    1945年(昭和20年)当時ドイツの占領地であった、ポーランドの南部オシフィエンチム市ドイツ名で、アウシュビッツにその収容所はあり、主にユダヤ人が収容されていた場所なのです。

    1945年(昭和20年)のこの日、ソ連が攻め込み、アウシュビッツも解放をしたのです。

     

    そもそもなぜナチスは、ユダヤ人を迫害していたのか。

    ユダヤ人は国を持たない民なのです。もともとは国家があったのですが、占領されてしまったのです。普通であれば、戦争に負けると、その国の文化や宗教などを受けていていくのですが、ユダヤ人は自分たちの文化を守り続けていたので、嫌われていたのです。その頃から迫害を受けていたのです。

    迫害を受けた上で生きていくには、高い技術力を持つか、お金を多く儲ける事が重要になり、ユダヤ人たちは高い技術力や、財力を持つようになっていたのです。

     

    ナチスがユダヤ人を迫害したのは明確な敵を作る事によって、国家をまとめる為だったのです。その象徴がアウシュビッツだったのですね。

    その収容所が、74年前の1月27日に解放されました。

  • 2019年1月20日(日) 12時10分

    19/01/20 ゲスト:西海伸行さん

    今日のゲストは湊川隧道保存友の会 西海伸行 さんでした。

     

    <ラジオレクチャー>

    1月20日は「海外団体旅行の日」です。

     

    1965年(昭和40年)日本航空が海外団体旅行「ジャルパック」を発売し、海外団体旅行ブームが起きました。

    これは、1964年(昭和39年)外為規制の緩和措置が行われ、海外渡航の自由化になったからです。

     

    しかし、この頃の海外旅行はとても高く、ジャルパックの最初の商品だった「ヨーロッパ16日間コースは」67万7000円。他の旅行会社が企画したハワイ9日間は36万4000円でした。今とあまり変わらないんじゃないと思う方もいると思いますが、この頃の大卒の初任給が1万9100円だった時代の話です。

    高嶺の花だったことがわかりますね。

     

    しかも1ドル=360円の固定レートの時代です。

    例えば2ドルで変えるハンバーガーが、日本円では720円もしたので、食事も宿泊も容易ではありません。

     

    それが1973年(昭和48年)変動相場制が導入され、一時1ドル=260円まで円高が進みましたが、1973年の秋にオイルショックが起き、1ドル=300円近くまで戻ってしまいしばらくその状態が続きました。

    しかし、だんだんと円高が進み、現在は100円前後を推移するようになったのです。

     

    それに伴い海外旅行者も増え、1964年(昭和39年)には12万人だったのが、

    1972年(昭和47年)には100万人を突破、翌年の1973年(昭和48年)には200万人を突破、1990年(平成2年)に1000万人を超え、2018年は11月までに1700万人以上の人が海外旅行を楽しんでいるのです。

     

    今は個人旅行が主流ですが、初めての海外や、初めて行く土地ではパック旅行は安心できましね。