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震災報道の記録 『被災放送局が伝えたもの』

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目 次

《1》は じ め に
《2》震災報道の検証
《3》震災直後の放送と取材活動の抄録
《4》その後の取材と震災報道の記録
《5》『あの日の私……』 社員の行動メモ
《6》各種関連資料
 (1) 震災時のAM神戸聴取状況調査
 (2) リスナー情報の分類
 (3) 震災ドキュメント
《7》写真資料
 (1) 震災直後の旧社屋の様子
 (2) 仮設社屋の様子

  • 《2》震災報道の検証 【4-A】放送内容、情報について

    【4-A】放送内容、情報について

    (1)災害後の放送方針
    地域ラジオの使命は、被災地の情報、特に災害状況、住民の安否の状況、さらに生活情報を可能な限り克明に報道することである。
    それによって、その使命は果たせると考えた。

    (2)災害後の番組構成
    放送は、地震直後午前5時46分に中断、その後6時の時報とともに再開され、1月20日午前3時までの69時間、CM無しの震災報道を続けた。
    20日午前5時の放送開始から基本的にレギュラー枠で、またCMも復活させたが、内容はワイド番組を中心に殆ど震災情報一色になり、CMもスポンサーの辞退で通常の1/3程度に減少する。
    21日(土)、22日(日)も中央競馬実況中継が中止になり、それに代わって震災情報を放送するなど内容変更が相次いだ。
    通常の番組編成に戻るのは28日(土)に中央競馬中継が再開されてからになる。
    それ以後も各ワイド番組は震災関係の情報が中心になって構成された。
    そして、被災地の変化に対応して、放送内容も災害報道から徐々に生活情報に重点を移していった。

    (3)震災特別放送の内容
    放送面では、午前5時30分からの早朝ナマ番組『おはようラジオ朝一番』の放送中、午前5時46分に地震発生。
    同時に停電し音声が中断した。
    在社スタッフの努力で放送を再開したのは午前6時であった。
    (音声中断13分05秒)
    第一声は谷五郎モーニングのパートナー藤原正美であった。
    再開当初、情報が極端に不足したが、社員からの電話による情報や社にかけつけた社員のレポートなどでそれを補った。
    地震情報が最初に放送されたのは、午前6時12分だった。
    しかしこの時点では神戸の震度は発表されていなかった。
    神戸の震度6(後に7に訂正)が放送されたのは、午前6時35分だった。
    午前6時40分頃に1台、7時すぎ、さらにもう1台のラジオカーが出動し、被災状況のレポートを、須磨、垂水、長田、兵庫、元町、三ノ宮、東灘、芦屋、西宮などの被災地からレポートした。
    特に長田の火災現場、三ノ宮交差点付近のビル倒壊現場、住吉川市営住宅倒壊現場、国道43号線深江付近での阪神高速高架橋の落下現場、国道171号線門戸陸橋落下現場などにいち早く入り、ナマレポートを送った。
    社内の着信専用電話(078-733-0123)7台を使って震災ホットラインを開設し、午前8時から安否情報などリスナー情報の受付を始め、30分後には電話が殺到するようになった。
    放送はこうした災害情報と安否情報などリスナー情報を軸に構成した。
    震災特別放送としては、17日午前6時から20日午前3時まで連続69時間、コマーシャル及び、全てのレギュラー番組をカットして続けた。

    (4)放送された情報の種類と入手径路
    震災関連ニュース(地震、余震情報を含む) (共同通信 他)
    災害地レポート (ラジオカー、社員レポート)
    安否情報 (リスナー)
    行政情報(被災者向け生活情報) (県・市対策本部)
    被害まとめ (県警警備本部)
    死亡者リスト (県警警備本部)
    ライフライン情報 (共同、各社 県、市)
    交通・道路情報 (共同、県警)
    救援情報(生活) (リスナー)
    学校・企業情報 (各組織・企業)
    以上のような情報が放送されたが、前にも述べたように主軸はラジオカーからの災害地レポート、そして安否情報などリスナーからの情報だった。
    特に18日早朝から安否情報とともに避難所での暮らしに必要な水や食料などを求める電話とそれに答える情報がホットラインに寄せられ、放送がまるで情報の広場のようになった。
    この間に放送した安否情報、生活情報は約3万件
    またラジオカーからのレポートは約50回。

    (5)リスナー情報の種類
    ・安否情報肉親・知人の安否を知りたいとのメッセージ
    『私は無事、○○さん安否を知らせて』との情報
    ・二次災害情報ガスもれ、火災などの情報
    特にガスもれ情報は17日夕方から夜にかけて多かった。
    ・救助を求む情報
    『食料がない』『水が足りない』などの情報から『人工透析の病院を知らせて』『お産のできる病院はないか』『隣りの家が倒れそうなので取り壊して欲しい』など。
    ・救援情報
    基本的に救助を求める情報に対する回答情報
    『風呂』『炊き出し』『住居』『ビニールシート』『洗髪サービス』等の提供情報
    ・生活相談罹災による行政手続き、法律相談、仮設住宅に関する問い合わせ、ガレキ処理などの相談

    (6)行政からの情報提供、放送要請
    69時間の特番中には具体的な情報提供はほとんどなく、災害対策本部での自社取材を行うしか方法はなかった。
    それ以降は、兵庫県から災害時の協定に基づいて災害情報を毎日2回(1回3分)放送したいとの要請があり、1月21日(土)~3月末で実施した。
    また2月17日の震災1ヶ月には正午の県民一斉黙とうの行事に告知などの面で協力を依頼され実施した。
    神戸市からも災害本部情報の放送依頼があり、毎日1回(月~金5分)1月30日(月)~3月末まで実施した。

    (7)他局との連携や作業分担
    安否情報については、和歌山放送、KBS京都、西日本放送の3社からの要請で、1月20日から毎日3分枠を各局に提供し、各社のアナウンサーの読みとして放送した。
    また緊急に依頼のあったニッポン放送、RFラジオ日本、文化放送には電話レポートを数回行った。
    ニッポン放送が、自局でリスナーから集めたラジオの提供を受け、1,500台分をAM神戸が仲だちして市の災害対策本部へ渡した。
    この際、ニッポン放送と同時放送した。
    さらに、震災半年目にあたる7月17日(月)には、特別番組『地元マスコミは何を伝えたか、何を伝えられなかったか』を2時間40分にわたって放送した。 この番組は、地元のNHK神戸放送局、サンテレビ、KissFM、神戸新聞社の震災報道担当者を招いて、ナマ放送で、半年間の震災報道を検証した。

  • 《2》震災報道の検証 【4-B】放送内容・情報の総括

    【4-B】放送内容・情報の総括

    (1)放送方針と姿勢
    放送再開直後から、とにかく目前の被災者のために救援をという思いは自然に社員全員に浸透していった。
    大混乱の中で、十分な方針確認は行われなかったが、大災害でのラジオの役割、被災者への思いは暗黙のうちに一致をみた。
    本社・取材先とともに地元局意識と自らも被災者という立場から被災者の目線での報道ができたと評価できる。
    結果として放送に統一感が生まれ、災害時での地域ラジオの使命を果たしたと言える。
    また、全員が気負わず、終始冷静に放送活動を行い、不安を与えることなく必要なことをキチンと伝えるという基本を守り抜き信頼感を得た。

    (2)放送内容・情報の点検
    ●ラジオカー
    ・他メディアに先がけていち早く被災地に入り、震災直後の混乱を極めた被災現場を巡って、当日だけでも約50回の災害レポートを行った。
    本社~長田・兵庫~垂水・須磨~兵庫・中央・灘・東灘~芦屋~西宮~三宮という、震災当日の、その行動範囲の広さ(約73■+12■+24■+11■)と、データ重視で行われたそのレスキューレポートの克明かつ正確さは、今回の震災報道の中でも特筆される。
    ・テレビ各局がヘリコプターによる空からのリポートであったのに対し、被災者の目線に重点をおいた、地上からのリポートとしては一番早いリポートとなった。
    ・初期には、他の在阪ラジオ局が大半、西宮までしか入れなかったこともあり、克明な災害状況のリポートは被災者の救命・救援に大きな力となった。
    ・安否情報などホットラインに寄せられたリスナー情報を受けて的確に被災地に入り、災害状況のみならず、被災者のかかえるさまざまな問題を明らかにするとともに、安否情報や救援物資を託されるなど放送と被災地を結ぶ動くサテライトの役割も果たした。
    ・特別放送以後もラジオカーチームの体制を継続し、3月末まで、避難所を中心に連日取材活動を行い、救援活動の遅れやボランティア問題、倒壊家屋に関わる問題、仮設住宅の問題、区画整理、都市計画の諸問題などを報告し、行政と被災者とをつなぐ存在となった。
    ・ただ、人員不足からラジオカーチームは、特別放送以後は殆ど一系統にとどまり最小規模を維持するのが精一杯であった。
    ・被災現場からレスキュー情報を発信し続けたデータ中心のラジオカーのリポートは高い評価を得た。
    ●ホットライン情報(リスナー情報)
    今回のAM神戸の震災報道の主軸のひとつには、ラジオカーとともに被災地(被災者)と局を結ぶホットラインの開設が挙げられる。
    安否情報をはじめ、地域リスナーからの通報、生活情報など救援を求める情報とそれに答える情報がこのホットラインに大量に寄せられ、放送全体の主要部分を占めた。
    行政の救援活動の立ち遅れの中、このホットライン情報は極めて重要なものであり、すべての情報を超越したものであった。
    地域ラジオとして率先して取り上げ地域の人々も巻き込んだ救援放送(活動)となった。
    特番以降もホットラインは、被災者と局をつなぐ形で生き続け、AM神戸にとって、一方の情報源になり、放送の支えとなった。
    ・安否情報
    すべてのマスメディアの中で最も早く安否情報を放送し、一番知りたい肉親・知人の安否を明らかにすることによって、被災者に自分達の思いを代弁してくれる放送局であるというイメージを作り上げた。
    このことにより、地域の信頼を得、多くのリスナー情報を呼び寄せ、ラジオコミュニティ作りの原動力となった。
    ・安否情報についての考察
    今回の体験から緊急時に、被災地の人だけでなく、全ての人がまず行うことは、肉親・知人の安否確認をすることであることが鮮明になった。
    AM神戸の場合、当時の情況から極めて自然に安否情報に着手したが、客観情報が少ない中で『電話がつながらない。 何とかしてほしい』という地域の人からの要請に応える形となった。
    安否情報は情報というより、存在のデータともいうべきもので、パーソナルデータの最たるもの。 日常放送では絶対に放送されない性格のものである。
    AM神戸の放送では、災害レポートや関連ニュースを除けば、最初の3日間は、この安否情報が大半を占めた。
    このようなデータを羅列することの実効性については、疑問視する向きもあるが、多くの人がAM神戸に電話を寄せ、何とか安否をと耳をかたむけていたことは容易に想像でき、判明率もかなり高いものであったといえる。
    事実、多くの人から、お陰で連絡がついたという連絡をもらっている。
    ・一方、電話の発着信規制の中で、膨大な電話が集中することから安否情報には批判もある。
    特に安否情報が自分の無事を知らせる以外に、相手に安否を知らせてと呼びかけるスタイルになることから、安否ではなく『無事情報』にすべきだという論もあり、ABCのように、これを実施した局もあった。
    当時の被災者心理から見れば、肉親・知人の安否を一刻も早く確かめたいという強いニーズがあり、それを取り上げる局があることは地域の人の大きな支えになったと考えられる。
    今後このニーズにメディアがどのような形で応えていくのか、システム上の問題があれば、それをどう克服するのか、広範な論議と研究が必要である。
    ・安否情報決定の経緯 他
    17日朝、午前6時30分過ぎ、編成制作局長が出社した際、現場記者から安否情報をすべきとの意見が出た。 局長自身、昨年秋頃から、AM神戸の災害放送マニュアルを見直さねばという論議を管理部門や編成制作局デスクなどとした際、災害時のラジオの役割のひとつとして、他社の経験から安否情報が有用なものだとの認識を持っていた。
    当日朝、出社途中にもそのことを考えていたので、直ちに現場記者の意見に同意した。 しかし、電話のスタンバイ状況や、受け付け要員の出社が把握できていなかったため、電話の稼働確認と受付要員が揃ったところで始めることを伝えた。
    これより先、現場記者と現場ディレクターの間で、安否必要との協議がなされていた。
    その背景には現場記者が昨年、報道フォーラムに参加した際、南日本放送の体験を聞き、災害時のラジオとして安否情報の放送が有効であるという強い認識を持っていたからである。
    7時30分頃、出社した担当役員に図ったところ、役員自身も同様の意見を持っていたため方針として決定、受付の揃った午前8時を期して募集告知を行った。
    募集の際、『まず自分の無事を言って下さい。 できるだけ簡潔にメッセージをまとめて下さい。 できるだけ多くの人の安否を放送するために、ご協力下さい。』 との告知を入れた。
    ●その他のリスナー情報
    ・安否情報とともに、17日夕方から一時集中した、火災発生、ガスもれの通報などの2次災害情報をきっかけに『水・食料』などを求める情報がホットラインに寄せられた。
    その情報は、今必要なもの、生きるために不可欠なものを鮮明に反映する形で寄せられた。
    行政の災害対策、救援が遅れていることとあわせ、相談窓口が機能していないことを物語っていた。
    AM神戸がこの種の情報を積極的にとりあげ放送したのはこうした理由による。
    この放送によって、被災した人々のSOSを発信し、行政に伝えるとともに、地域の人々、ボランティア、近隣の地区にも救援を求める結果をもたらした。
    この放送を聞いた人達は、AM神戸に救援情報を提供したり自ら救援活動に動いた。
    AM神戸はこうした情報の中継基地であるとともに救援放送局となった。
    別の言い方をすれば、今回のAM神戸の震災報道を支えたのは、被災者を含む地域の人々であったといえよう。
    ・安否情報を含めたリスナーからの情報がAM神戸の69時間の放送では主流を占めたが、これらは再三述べるようにいずれも非常にパーソナルな情報で、本来マスメディアがとりあげるものでないかも知れない。
    しかしあの大災害時の放送では、この個人情報を取り上げることが重要であると判断した。
    特にラジオは、大混乱の中で『必要な情報はどんな細かいことでも放送する』
    『リスナーが希望するならどんなことでも放送局に電話を』という局側の姿勢をしっかり見せることが極めて重要だと考えた。
    ●行政情報
    ・少なくとも発生直後から3日間は、行政情報は有効なものはなかった。
    状況把握、体制づくりそのものが遅れていた。
    2日目、知事・市長へトップ緊急会見を行ったが、安心を与えるものは出なかった。
    局側もそうした背景もあって、行政取材は積極的には行わなかったのも事実である。
    ・震災後5日目から災害協定に基づいた放送が始まったが、被災者のニーズにしっくりした情報を得るには時間がかかった。
    本来、被災者からの様々な情報に応えるには、それに基づいて行政(対策本部)で取材して、送り出すべきであるが、当時はそれを行う相手がない状況であった。
    ●ライフライン情報
    発生直後は、各機関からの積極的な情報提供はなかった。
    水道・電気・ガス・電話などすべてがストップ状態の中で情報の出しようがないというのが現状であった。
    しばらくしてそれぞれの復旧見通しなどの情報や、ガス・電気のように2次災害防止の注意はそれぞれの機関から提供があり、有用な情報となったが、復旧見通しは満足できる形ではなかった。
    ●余震・地震情報
    被災者がもっとも知りたい情報に、この種の情報があげられるが、不安を取り除く形での情報は得られなかった。
    また、現実の問題として不可能だったとも言える状況であった。

    (3)情報の入手と出し方
    主な入手経路は前述した。
    視点を変えて分類すると、
    1.自社取材 ラジオカー2台による被災地レポート。 社員情報。
    車・徒歩による災害地レポート。
    2.共同通信社 地震情報、政府の対策など関連ニューが主であったが、当初は東京・大阪からの情報が中心で、当初は唯一のニュース源だったが、17日午後から18日夕方までNTTの回線トラブルで配信が途絶した。
    3.県警災害警備本部 被害状況のまとめ、身元が判明した死亡者の名前など。(記者アナを派遣)
    4.県・市災害対策本部 被災者向け生活情報など(記者アナ派遣)
    5.リスナーからの情報 安否・生活情報など7台の電話で24時間体制で情報を受ける。
    6.ライフライン 企業・学校・各組織からのファックス入電情報
    ・発生直後数日間の自社取材については、データ中心のレポートとなり、大きな成果をあげたが、被災者の生の声をもっと電波にのせるべきだという意見もあった。
    ・地震関連ニュース、地震情報は共同に依存せざるを得なかったが、関連ものが多く、一番欲しい被災地ニュースが少なかった。
    また途中、回線トラブルもあり、ニュース源が不足した。
    ニュースネットワークへの参入などの再検討が必要である。
    ・安否の一環として放送した死亡者名簿は、時間もかかり人員配置も大変だったが一定の評価はできる。
    ・震災2日目二は、知事・市長への緊急インタビューを行ったが、行政の立ち遅れを明らかにする結果となった。
    人員不足もあり、行政への常駐体制も最後までとれなかった。
    行政サイドからの積極的情報提供は、少なくとも1月20日まではなかった。
    ・リスナー情報については再三述べた通り、大きな成果と反響を呼んだが、安否情報の前にリスナーからの災害情報がもらえたのではないかという声もある。
    また、多くの情報を次々と放送したが、情報内容、地域ごとの分類など被災者が聞きやすい形をとる余裕がなかった。
    情報の送り出しの手法、編集の仕方は今後の重要な研究課題である。
    ・また、放送した情報・データを即座に正確にデータ化していくことが求められる。それによって、データの分析・再利用・提供が可能になる。
    ・また、情報の分類の面では、リスナーからの問い合わせに対応できるような形での分類と保存が必要である。
    ・更にリスナー情報については、電波による仲介を基本線とした。
    AM神戸が相手を指定してあっせんする方法はとらなかった。
    個人の状況への深入りを避ける意味もあったが、予想以上に要請が多く、できるだけ多く、できるだけ早くということを第一義にしたためでもあった。
    結果として市民ネットワークが生まれたと思われる。
    ・個人情報の裏どりの問題を指摘する向きも多いが、当時の状況は一部の例外を除いて大きな問題とはならなかった。
    しかし、情報を扱う側の人間として、入手した情報を確認、整理、フォローする必要は厳然としてある。
    当時は、それができない状況だったと片付けてはならない。

  • 《2》震災報道の検証 【5】地域と震災報道

    【5】地域と震災報道

    ・今回の震災に際して行政の救援対策の立ち遅れと不備、的確な広報体制の遅れが指摘されているなかで地元ラジオ局としてAM神戸が地域に果たした役割は大きい。
    地震発生後の停電と長時間の電話の不通、発着信規制下で、直後から被災地へ向けての救命・救援放送をCM、全番組をカットして連続69時間続け、被災地域の人々のよりどころとなった。
    ・具体的には
    ホットラインに寄せられた安否情報をはじめ、災害地域の人々の細かな救援を求める個人情報を電波にのせた。
    多くの人々が消息不明の肉親・知人の安否を知りたいという、一番強いニーズに答えた。
    ・行政の立ち遅れのなかで、個人情報の中継基地の役割を果たし、地域ぐるみの救援ネットワーク体制を作った。
    本来、行政が行うべき情報提供の役割と相談窓口の役割を担ったと言える。
    ・ラジオカーなどの積極取材によって、被災地域の現況を地元ならではの克明さと被災者の心情に合った形で明らかにするとともに、地域の人々の要望、声を代弁し問題提起した。
    それによって、具体的な救援を地域はもちろん、行政、ボランティア、近隣地区へ要請し、救援活動につないでいった。
    ・放送を通じて一貫して被災者と同じ目線を保ち、被災者と気持ちを共有する放送局というイメージを作り上げた。
    自らも被災局であるということが地域の信頼を得、被災者と被災者、市民と市民、リスナーとリスナーを結ぶ救援ネットワークを形成する市民ラジオとしての役割を果たす結果となった。
    ・安否情報をはじめ、ラジオカーのリポートなど、放送にたずさわる全員の気持ちが、『被災者を救い、不安を解消したい』という思いで一致していった。 興奮せず、必要なことをキチンと伝えることによって、不安をあおることなく、安心報道という基本を自然に作り上げた。
    ・69時間を全うした以後、各番組では震災中心の報道や2月半ばから新番組『震災情報ステーション』をスタートさせ、震災フォローを行った。
    しかし、レギュラーの復活もあり、人員不足から取材面での縮小を余儀なくされた。
    結果、取材範囲が狭くなり地域のニーズ、期待には必ずしも答えられなかった。
    直後の放送で地域の人々の期待に答え、信頼を得ただけに、その後のフォローの面で、取材力の限界とはいえ、物量に優る在阪局などに差をつけられたのは残念である。
    ・国際都市神戸という視点から見れば、外国人向けの情報提供はほとんどできず、KISS FMにその役を譲ることになった。
    ・また高齢者や身体障害者などへのフォローは十分でなかった。
    ・被災地の住民に対する情報に地域格差が生じた。 これは、取材陣の少なさ、情報量の濃淡などが原因である。

  • 《2》震災報道の検証 【6】メディアとしての視点

    【6】メディアとしての視点

    ・昨年秋、愛称をAM神戸として再スタートしたが、今回の震災報道によって、『AM神戸』の名前を地域のみならず全国的に浸透させた。
    ・今回のように、想像を越えた災害の場合、被害状況を理解してもらうには音声メディアには限界があり、その役は映像メディアのテレビや写真にゆずらざるを得ない。
    しかし、被災者の安否を求めたり被災者の暮らしに役立つ身近な生活情報の発信にはラジオが最適であり、停電が長引いた状況とあいまって、災害時のメディアとして、ラジオは欠くことができない存在であることを実証した。
    そうした立場からの今回の報道について多方面から評価と激励の声が寄せられた。
    ・情報化、マルチメディアの時代といわれるなかで、今回の震災では、その基幹とも言うべき電話など通信手段が無能ぶりを露呈したのは皮肉であった。
    兵庫衛星通信ネットワークも電源の故障が原因で使用不能となった。
    AM神戸は2台のラジオカーと電話だけという正に家内工業的な放送手段しか持たなかったが、被災者に肉薄した手作りの人間的な放送を行い、あの大震災で力を発揮した。
    被災者を思いやる温かい心を込めた放送が、地域の支持を得たことをかみしめ、今後もリスナーを巻き込んだぬくもりのあるメディアとしての道を歩むべきである。
    ・多くのメディアとの比較の中でも、AM神戸は単に被災局ということだけでなく、その放送は評価された。
    多くの新しいメディアが出現する中で、40数年永々として築き上げてきた様々なラジオ手法が土台のしっかりしたものであることを改めて見直したい。
    いわゆるベテラン記者、ディレクター、アナウンサー、技術者が今回のAM神戸の震災報道の主役であり、その見識が評価につながったと言うべきである。
    しかし、組織的に十分機能したとは言えない。 ここにAM神戸の弱点がある。
    時間をかけて、この人達のノウハウを組織の中に生かしていくことが求められている。
    幸い、今回の報道では多くの若手社員が参画し、大きな力となった。
    地域をきちんと把握し、問題意識を持ち、提起できる社員を育てて、組織として厚みを持つところに発展の道があると考える。
    ・今回、AM神戸が多くの犠牲をはらって行った災害報道の成果と教訓を一局、一地域の問題にとどめず、AMラジオ局全体に生かすことが重要と考える。

  • 《2》震災報道の検証 【7】編成・営業面からの報告と総括

    【7】編成・営業面からの報告と総括

    (1)編成業務について
    放送は、地震直後午前5時46分に中断、6時の時報とともに震災特別番組として、CM抜きで再開された。 この震災番組は、被災直後に設置された震災放送本部と営業局との判断で、1月20日午前3時までの69時間、CM抜きでの放送となった。
    CM及び通常番組の復帰時期が、20日午前5時00分の放送開始からと決まったのは19日の夕方であった。

    ●業務について
    ログ(番組進行表)を作成する作業は、平常時なら伝票に沿って作成される。
    しかし、ファックス、電話回線の発着信規制といった状況のもと、
     ・レギュラ-番組の一部復帰、休止
     ・レギュラ-CMの復帰、休止
     ・新規CMの挿入(完全パッケ-ジと生CM、CM録音)
    こうした要望が、営業各支社から集中したが、意思の疎通をかき、カットすべきCMが流れるといった混乱もあった。 また部員の全員出社が困難であった為、生CMについては時間取り・番組手配など編成業務部では対応できず、営業推進部の助けを借りて急場を凌ぎ、この状態は2月末まで続いた。
    ●編成について
    震災関連番組は2月からスタ-ト。 4月の番組改編時には、『防災インフォメーションがんばれ神戸』(月~金 午前7時20~同23分)
    『震災情報ステーション』(月~木、午後0時10分~同28分)
    『よみがえれ神戸』(土、正午~一時)
    をスタ-トさせた。

    (2)営業活動について
    本社営業部のテリトリ-は、東は尼崎市、西は明石市、北は氷上郡、南は徳島県鳴門市と広範囲に渡っているが、広告主の85%は神戸市内に集中している。
    姫路、大阪、東京各支社は、建物など損傷なし。
    1月18日 ・本社営業局を、被災した神戸新聞会館から須磨区の本社内に一時移転。
    1月19日 ・出社できた部員で広告主・代理店の安否の確認。 同時にCMの一方的カットに対するお断りの申し入れ。
    加入電話は発着信不能も、東京、大阪、姫路を結ぶ専用線は奇跡的に無事。
    以降、本社営業局がハ-バ-ランドに移転するまでの約1週間広告代理店との連絡は、各支社が中継。

    表 先方ハードコピー使用
    1月25日
    ・営業推進部を除き、本社営業局は神戸ハ-バ-ランドのダイヤニッセイビル14階に再移転。
    3月1日
    ・営業推進部もダイヤニッセイビルに主業務を移す。
    ●営業売上げ
    CM・レギュラ-番組への復帰は1月20日午前5時からであったが、代理店、広告主からの指示は『連絡あるまで、休止』が多く、本社営業局、各支社とも減額を余儀なくされた。
    電波料、制作費合算の減額は、1月から3月まで、営業局全体で5000万円を越える数字となっている。
    3月後半からは、復帰してくる広告主も増え、6月末現在、本社営業部は、タイムスポット共70%台まで回復している。
    一方、震災広報スポットは、1~3月の期間に全社合せて約1億2000万円の出稿があった。
    しかし、4月以降の営業収益は、本社営業局に限れば、例年実施しているイベント・事業が自粛ムードで、依然厳しい状況にある。