北海道胆振東部地震の被災地で現地取材を行った林アナウンサー。写真は厚真町社会福祉協議会での様子(写真:ラジオ関西)
9月6日未明に発生した北海道胆振東部地震。道内で初めて震度7を観測した被災地に入った。
新千歳空港から車で36人が亡くなった厚真町へ向かい、1時間ほどで到着。避難所にもなっている町の施設の入口には、ペットボトルの水や、マスク、おむつなど、支援物資が積まれていた。夫婦で避難している70代の女性は、「電気が止まっているので、家に帰っても片付けのための掃除機もかけられない。娘の家には赤ちゃんがいるので、いつまでも世話になれないので、ここに来た」と話していた。
役場をあとにし、多くの犠牲者が出た吉野地区に向かう。私が行ったときは安否不明者すべての遺体が収容された後だったが、自衛隊員は住民が亡くなった家の捜索を続けていた。指揮をしていた隊員に話を聞くと、「亡くなった方が使っていた遺品の捜索を続けている。使えるものはすべてご家族にお渡しするための作業です」とのこと。冷たい雨のなか、黙々と活動している隊員の姿が印象的だった。
厚真町をあとにし、むかわ町へ。役場前にある道の駅では、道内を拠点にボランティア活動をしている70代の男性に出会った。この男性はボランティア活動を40年以上続けているそうで、各地から駆けつけたスタッフとともに炊き出しをしていた。「1日800食を作る。ご飯は自衛隊から提供してもらって、各地から送られた食材を使って提供している。毎日違うメニューを出していて、きょうは麻婆茄子をご飯にのせた丼」。男性は妻とともにワゴン車で寝泊りして支援を続けている。
北海道胆振東部地震の被災地で現地取材を行った林アナウンサー。写真はむかわ町での様子(写真:ラジオ関西)
むかわ町から今度は安平町に向かう。安平町についたのは、薄暗くなった頃。この町はボランティアセンターの立ち上げがとても早かった。地元にある学校法人の職員が中心となり、地震発生の2日後にセンターを立ち上げ、翌9日に受け入れをスタート、10日から公式に活動を始めた。立ち上げに関わった担当者は「被災者が何を求めているのかを聞き取りながら、動きながら考えている」と話す。
もうひとつ、この町で注目すべきことは、避難所。安平町内の花園と若草という2つの町内会が活動拠点にしている「花若会館(公民館のような施設)」には、地震直後から住民が集まり始めた。この町内会では日頃から町とともに防災訓練を行ったり、お祭りなどの行事を年間20回以上も行っている。子供から高齢者まで、普段から顔の見える関係を築いていた。安平町の関係者は「避難している人たちの食事風景はまるでクリスマスパーティのよう」と言う。町内会の役員にそのことを尋ねると、「そう見えるかもしれない。みんなでこうやって集まって食事をすると、不安も和らぐ」と笑顔が返ってきた。
阪神・淡路大震災以降、地震や台風などの自然災害が多発している。ハード面の強化や対策はもちろん必要だが、これらには多額の費用と時間がかかる。しかし、安平町で出会った人たちは、被災しているにもかかわらず、笑顔が見られた。やはり、いざというときに頼りになるのは人と人のつながり。安平町の花園・若草地区の取り組みは、防災・減災対策において「本当に大切なこと」を私たちに示していると感じた。
北海道胆振東部地震の影響で道路にあふれた土砂を作業する様子。震災の爪あとの大きさを感じさせる。(写真:ラジオ関西)
ラジオ関西「時間です!林編集長」| 2018年9月11日(火)放送分
【公式サイト】時間です!林編集長