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CINEMA-EYE RADIO

  • 2022年8月8日(月) 10時46分 放送アーカイブ

    映画「島守の塔」 監督 五十嵐匠さんインタビュー

    2022年8月4日 第5回オンエア
    番組を聴いてみよう!

    【目のつけどころがCINEMAでしょ?!】
    パルシネマしんこうえん 支配人 小山たかし さん

    先週に引き続きの小山さんはパルシネマの支配人として3代目。
    先代のお父様が長くつとめていましたが、
    10年ほど前に別の仕事をしていたのをやめて引き継ぎました。

    2本目前にサンドウィッチやおにぎり食べるのも醍醐味ですね!

     

    【先読みシネマ情報】
    「島守の塔」 監督 五十嵐匠さんインタビュー

    日本が総力戦へと突っ込んでいった沖縄戦末期、本土より派遣された2人の内務官僚がいた。兵庫県出身の知事・島田叡氏と栃木県出身の警察部長・荒井退造氏である。

    学生野球の名プレーヤーとしてならした島田氏は、戦中最後の沖縄県知事として沖縄に赴任する。度重なる軍の命令に応えるべく内務官僚としての職務を全うしようとする。しかし、戦禍が激しくなるにつれ、自分が県政のトップとして軍の論理を優先し、住民保護とは相反する戦意高揚へと向かわせていることに苦悩する。そして多くの住民の犠牲を目の当たりにした島田氏は「県民の命を守ることこそが自らの使命である」と決意する。警察部長の荒井氏もまた島田氏と行動を共にし、職務を超え県民の命を守ろうと努力する。実は、沖縄戦で2人は、それぞれ重い十字架を背負っていた。島田知事が着任する前、荒井氏は沖縄を離れていた前知事の代わりに県民の疎開を必死に推し進めていた。その矢先、本土に向かっていた学童疎開船「対馬丸」を米軍の攻撃に遭わせてしまったのだ。そのため、数多くの子供達が犠牲となった。その船には自分が疎開をすすめた部下の家族も乗りあわせていたのである。島田氏は県政の責任者として軍の命令を受けて鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊として多くの青少年を戦場へと向かわせていた。2人はそんな十字架を背負いながらも、戦争末期、戦禍が激しくなる中、必死に県民の疎開に尽力し多くの沖縄県民を救っていった。
    一億総玉砕が叫ばれる中、敗走しながらも、島田氏は叫んだ。「命どぅ宝、生き抜け!」と。

    映画「島守の塔」は、第二次世界大戦の末期、長期にわたる日本国内唯一の地上戦があった沖縄を舞台に、軍の圧力に屈しながらも苦悩し県民の命を守り抜こうとした島田氏と荒井氏、そして沖縄戦で戦火に翻弄されながらも必死に生きる沖縄県民、それぞれの生きる姿を描く映画とする。(作品資料より)

     

    【プレゼント】

    「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」全国共通劇場鑑賞券 
    提供:CINEMA-EYE/LIBERRA

    西宮市 RN.すーちゃんほかのみなさんおめでとうございます!