入社2年目の春名優輝アナウンサーが、「爆笑問題の日曜サンデー」に出演。ラジオの世界へ飛び込むきっかけとなった爆笑問題と“共演”を果たした。(写真:ラジオ関西)
4月7日(日)の「爆笑問題の日曜サンデー」(日曜13:00−15:00)では、ラジオ関西での放送スタートを記念して、『サンデーマナブくん』のコーナー内で、『兵庫県をマナブ』という特集が放送された。そこで、「谷五郎の笑って暮らそう」パーソナリティの谷五郎、田名部真理とともに出演したのが、入社2年目、23歳の春名優輝アナウンサーだ。
「太田さん! ほんま何してんねん! ラジ関で流れるというのに、(前週に負傷のため欠席していたため)太田さんがおれへんのちゃうかと思って、むちゃくちゃ心配したわ! そない若くないねんから、ほんまに気ぃつけや! これがほんまの関西弁や!」
TBSラジオのスタジオから、中継先のラジオ関西スタジオに向けて話を初めて振られた直後に、春名アナウンサーが突然、矢継ぎ早にまくしたてた。若手が大御所に対していきなりかみついた形になり、一瞬ドキッとさせられたが、それでも、爆笑問題の太田光と田中裕二、そしてアシスタントの江藤愛アナウンサーとは、その呼びかけを皮切りにトークが弾む。
実は、春名アナウンサーがラジオを好きになった、そして、ラジオの世界に飛び込んだきっかけは、まさに爆笑問題のラジオ「JUNK 爆笑問題カーボーイ」。地元、兵庫県姫路市にいた中学時代から、podcastを通じて番組を聴いていたということで、「そういうきっかけになった人としゃべるのは、特別な感じでした」。自己紹介の途中には、太田光に対して、もの申したいと乗り出す場面も。「僕の好きなお笑いのスタンスも、『カーボーイ』からしか知らなくて、太田さんのモノマネが大好きだったんです。だから、大学生の新歓コンパで、(太田光がモノマネをしていた)月の家圓鏡(つきのや・えんきょう 8代目橘家圓蔵)師匠の『メガネクリンビュー(CM)』のモノマネ、『よいしょっと! あれっ、眼鏡曇っちゃった!』を、自分の眼鏡に息を吹きかけながらやったんですが、あれより『すべった』ことはなかったんですよ!」とラジオにまつわるエピソードを話すと、爆笑問題のふたりも大爆笑。まさに、心を掴んだ。その爆笑問題との共演に、「本当に夢が叶った。早すぎる夢の実現ですよ」と春名アナウンサーはいう。
その後も、谷五郎、田名部真理を交えて、兵庫県やラジオ関西に関する話題を、楽しく、面白く、爆笑問題や、番組を通じて全国のリスナーに伝えていった、春名アナウンサー。「一夜経って、やっと事の重大さがわかってきました」と率直な感想も述べつつ、「ラジオ関西の一番楽しい雰囲気を、谷さん、田名部さんのおふたりとお伝えして、『関西のノリってこんな感じ』、『みんなこういう空気感でやっているよ』というのを、たぶんわかってもらえたと思います。兵庫県のことも、こんな素晴らしいところがあるということと、神戸だけではなく、(県内の)北から南、西から東まで各地のことを言えたので、限られた時間のなかでは、まずまず伝えられたかな」と振り返り、入社2年目の1週目にやってきた大役を果たしたことで「最高のスタートが切れたと思います」と安堵の表情を浮かべる。
「谷五郎の笑って暮らそう」パーソナリティの谷五郎(写真左)、田名部真理(写真中央)とともに、ラジオ関西スタジオから「爆笑問題の日曜サンデー」に出演した春名優輝アナウンサー。「谷さん、田名部さんが、ど緊張だった私をおさえてくださいました」(写真:ラジオ関西)
春名アナウンサーは、津田明日香アナウンサーとともに、2018年入社。この1年は、取材活動や、「マンスリーAミュージック」のパーソナリティー、そして、ニュース読みなども経験。「1年間(取材で)いろいろ行政を回ったり、本を読んだり、主に兵庫県のことを勉強してきたつもりでしたが、勉強がまだまだ足りないのは課題」と回顧する。特に、「喫緊の課題」は、アナウンサーとしての本分、「しゃべり(アナウンス)」。「基礎の滑舌や発声のところで、読んでいるだけ、しゃべりっぱなしの部分が多いので、聞いてくれている人を強くイメージして(伝えることを)やっていきたい」。
元々は制作志望だったが、入社試験でアナウンサーとして見出されて、アナウンス、そして、ラジオの世界に飛び込んだ春名アナウンサー。この1年での厳しい鍛錬を経て、4月からはニュース読み、取材活動だけでなく、『MUSIC LIFE GARDEN』(日曜16:00−17:00)のパーソナリティーも担当。初のフリートークにも挑戦するなど活動の幅を広げている。だがしかし、新人の枠がとれた今、春名アナウンサーはさらに気を引き締める。「(入社から)1年経って何もできないと、それこそ終わりだと思っているので。入社の経緯とか、たまに話のネタにすることはありますが、自分から強く発信することもないし、それはたぶんプラスに働くのは1年目だけ。これからはそういうことは関係なく、努力をしていけたらなと思います」。