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山崎整の西播磨歴史絵巻

  • 2018年8月26日(日) 08時30分

    感状山城(中)

    2018年8月21日(火) 放送 / 2018年8月26日(日) 再放送

    相生市矢野町森にある感状山城(305メートル)は、1985年に相生市指定文化財となったことから3年間、発掘調査が実施され、多くの建物群などが見つかりました。加えて1996年に「国の史跡」になったのを機に城郭一帯が整備され、麓の「瓜生羅漢」とともにハイキングコースとして親しまれています。その発掘の成果をまとめましょう。

    感状山城は、赤松氏の主要な中世山城として、上郡町赤松の白旗城(440メートル)と連携していました。石垣を多用した所に特徴がありまして、規模が雄大で眺望も良く、ほとんど破壊されていないため、石垣や建物跡や礎石、井戸跡などの遺構がよく残されています。発掘調査で曲輪群の大体の姿が明らかになりました。

    全体が3つの区画に分かれまして、第1曲輪は、山の頂上付近、城の―番奥の北隅にある「本丸」です。南斜面は、山の岩盤に自然石を組み合わせた石垣で囲まれています。曲輪内には、建物跡の礎石や排水溝が横一列に並んだ石組みになっていて、礎石の配列から敷地いっぱいに「本丸御殿」があったようです。また曲輪の真ん中の柱穴から、稲の籾と16枚の銅銭や小皿が出土しましたが、これは「地鎮祭の跡」と考えられています。

    第2曲輪は、少し下がった所で南北に分かれています。全体は石垣に支えられ、西側は「犬走り」と呼ばれる3~4メートル幅の帯状の曲輪があって、敵が侵入しにくいよう工夫されています。南側では、見張りをしたと思われる隅櫓と大規模建築の礎石群があります。大型の建物は、広間を中心に多くの小部屋があるため、第2曲輪は、日常生活を営む「常の御殿」のようで、柱の間隔から16世紀末頃の築造ではないかと推測されます。第1曲輪の「本丸御殿」とは対照的です。

    南曲輪群は、自然の尾根を利用して、6つの削平地を階段状に造っていて、大手門から侵入する敵を防ぐための要所となっています。特に注目されるのが、2段目の「腰曲輪の石垣」で、感状山城跡の中でも最大で、全長21メートル、高さ4.5メートルもあります。この城の石垣は「野面積み」と言われ、30㌢角から1メートル余りの自然石を使い、一見粗雑に積み上げたような構造となっています。江戸時代の城のような隅を直角にする技法が完成する以前の、緩いカーブを描いて処理しています。

    中腹にある第3曲輪は、1メートルほどの段差がある石垣7段で構成され、周囲には犬走りが配置されています。南北約7メートル、東西約8メートルの正方形に近い建物遺構が見つかりましたが、周囲に瓦が縦に埋められていて、その内側に礎石が配列されています。これは、防火と防湿に加え、ネズミなどの侵入を防ぐためで、食糧などを保管する倉庫跡と見られます。近くには、備前焼の大きな甕が9個もあり、イノシシの塩漬け肉に近い物が貯蔵されていたことから、付近は、城の台所のようです。