『中国行程記』から⑳黒岡神社と石地蔵
2020年11月24日(火) 放送 / 2020年11月29日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの20回目です。歴史的には怪しくても長く伝承される話が各地に残っています。人物は実在しても関連が薄いと思われる話と、人物そのものが架空で神懸かった大活躍をする話などのタイプに分かれます。太子町太田には、この2種類の話が伝わり、興味をかき立てられます。
山崎整が兵庫県西播磨地域の歴史の魅力をお伝えします。
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2020年11月24日(火) 放送 / 2020年11月29日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの20回目です。歴史的には怪しくても長く伝承される話が各地に残っています。人物は実在しても関連が薄いと思われる話と、人物そのものが架空で神懸かった大活躍をする話などのタイプに分かれます。太子町太田には、この2種類の話が伝わり、興味をかき立てられます。
2020年11月17日(火) 放送 / 2020年11月22日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの19回目です。『行程記』は太子町太田の楯岩城にも触れています。2019年2月に取り上げましたので簡単に振り返ります。山の中腹を国道2号太子竜野バイパスのトンネルが貫く城山の頂上に楯岩城があります。登山道の途中には大きな岩がごろごろあり、城の名前の通り、盾のような岩が連なり、一部は石垣のように積み上げられています。大字地名に基づき「太田城」とも呼ばれます。海抜250メートルの山上の「楯岩城大山構跡」の立て札からすると、別の太田城の出城だったのかもしれません。江戸中期の『播磨鑑』によれば、後醍醐天皇の「建武の新政」の頃、1330年代に赤松円心の長男・範資の息子・赤松則弘(広)が太田城を築城したとしています。この則弘は、後に広岡五郎を名乗る広岡氏の祖とされます。
2020年11月10日(火) 放送 / 2020年11月15日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの18回目です。太子町鵤の斑鳩寺周辺には聖徳太子ゆかりの遺跡がいろいろあります。606年に太子が推古天皇に法華経を講義して、播磨国揖保郡の土地360町歩を賜って命名した斑鳩(鵤)荘の地名が今も息づいています。そればかりか、賜った荘園の範囲・区画を示すために置かれた膀示石が、しっかりと現存するのは驚きです。
2020年11月3日(火) 放送 / 2020年11月8日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの17回目です。西国街道を西から東へ揖保川を渡り、さらに林田川を越えると斑鳩寺と共に栄えた太子町の鵤宿です。参勤交代の大名らも本陣に泊まった宿場ではありましたが、あくまで門前町で宿駅の機能が無かったのは、『行程記』にもわざわざ「駅にあらず」と記している通りでした。
2020年10月27日(火) 放送 / 2020年11月1日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの16回目です。太子町の立岡山にある石蜘蛛城を取り上げます。2020年1月から2月にかけて一度取り上げましたが、少し復習しておきます。山城の築城より随分昔の話が『播磨国風土記』に記されており、「応神天皇がこの山に登り、四方を眺めて国見をした」とされる「御立の阜」が立岡山だとしています。