『中国行程記』から⑤赤穂城下への道
2020年7月21日(火) 放送 / 2020年7月26日(日) 再放送
山口県の萩藩が残した絵図『中国行程記』に記された江戸中期の西播磨の様子を眺めるシリーズの5回目です。古代山陽道が廃された後、東西を往来する道の必要性から鎌倉中期になって、山陽道の南側に「西国街道」が造成されました。しかし、赤穂城下からは離れているため、西国街道と赤穂をつなぐ道が計6本も整備されました。
山崎整が兵庫県西播磨地域の歴史の魅力をお伝えします。
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2020年7月21日(火) 放送 / 2020年7月26日(日) 再放送
山口県の萩藩が残した絵図『中国行程記』に記された江戸中期の西播磨の様子を眺めるシリーズの5回目です。古代山陽道が廃された後、東西を往来する道の必要性から鎌倉中期になって、山陽道の南側に「西国街道」が造成されました。しかし、赤穂城下からは離れているため、西国街道と赤穂をつなぐ道が計6本も整備されました。
2020年7月14日(火) 放送 / 2020年7月19日(日) 再放送
相生市若狭野にある旗本・浅野氏の陣屋については、2019年12月に取り上げましたが、萩藩の絵図『中国行程記』にも触れられています。やはり西国街道の目印になっていたのでしょう。赤穂市有年の宿場から東へ三田川に架かる長さ2間(3.6メートル)の土橋を渡り、若狭野村に入ります。『行程記』には、街道に沿って矢野川が描かれ、その北側にある高札にも目を留めています。高札は普通、藩の法度や掟などを掲げますが、こちらの物は「地方札」で、付近だけに限定した通知だと説明しています。
2020年7月7日(火) 放送 / 2020年7月12日(日) 再放送
萩藩の絵図『中国行程記』と『播磨の街道』を基に、船坂峠から西へ7キロほどにある赤穂市の「有年宿」を取り上げます。この辺りには東西に走る新旧の主要道が3本通っています。道路は、時代ごとの必要に応じて都合がいいように付け替えられてきた結果、今では国道2号が生活道路で、さらに山陽自動車道も加わっています。
2020年6月30日(火) 放送 / 2020年7月5日(日) 再放送
山口県の萩藩の絵図『中国行程記』を現代によみがえらせた橘川真一さんの著書『播磨の街道』を基に、船坂峠から西へ上郡町の梨ケ原辺りの歴史を見ましょう。船坂峠は備前と播磨を分ける「国境の峠」で、古くから難所として知られ、また多くの節目でさまざまな物語を生んできました。