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山崎整の西播磨歴史絵巻

  • 2019年7月28日(日) 08時30分

    赤穂城(6)

    2019年7月23日(火) 放送 / 2019年7月28日(日) 再放送

    「赤穂城」の6回目です。5回にわたって赤穂藩と城についてお話してきましたが、最も知られる「忠臣蔵」については、「山城」の趣旨から外れ過ぎるため、少し触れただけでした。ここでは、今も尾を引く「赤穂義士論争」について付け加えておきましょう。

    問題点はただ一つで、浅野家の足軽だった寺坂吉右衛門を「義士」に数えるのか否かです。赤穂市が発行した『忠臣蔵』第1巻では「義士には数えない」との立場から、次のように書いています。「討ち入り成功後、寺坂が自らの考えで姿を消したと考えるのが事実に近いと言えるのではなかろうか」とした上で、「この問題はやはり四六士として論ずるのがよいと考えるものである」と論を展開しています。

    これに対して「義士に数える」立場から「寺坂は命を受けて報告のために生き残った」。あるいは「討ち入り=義士で、よいではないか」との反論が起きました。これらとは別に、そもそも「寺坂は吉良邸に討ち入らずに去った」とする論もありまして、一筋縄ではいかない、問題の複雑さを物語っています。

    赤穂市は「義士祭」などの行事で顕彰するのは、あくまで「四七士」であり「四六士」ではありませんし、他の観光事業でも同様に扱っているため、寺坂を義士に加えるか否かは研究者の領域で論議されるべきだとして、1997年には両論を併記した『赤穂義士論―寺坂吉右衛門をめぐって』を発行し、観光などではこの問題を持ち出さないと宣言しています。

    義士のほか、赤穂で忘れてはならない食べ物が一つ残っていました。銘菓「塩味饅頭」ですね。古くから赤穂で製造・販売されてきた和菓子の名産です。誰もが一度は食べたことがあると思います。形は、瀬戸内に映えるお月さんを模した落雁風で、小豆のこしあんに特産の塩の風味を加えたところがみそです。甘味と塩味の調合が、後に大塚製薬の「ポカリスエット」開発の参考になったともされます。

    江戸中期以来300年余りの伝統を持つと言われ、一説に藩主・浅野長矩が御用菓子司に命じて工夫させ、第5代徳川綱吉の時、将軍家に献上したとも伝えられます。赤穂事件の後には「義士饅頭」「大石饅頭」などと持てはやされましたが、現在の原形は江戸後期の天保年間、江戸の菓子職人、江戸屋藤治郎・平兵衛父子が赤穂を訪れて改良したと言います。甘い饅頭の常識を覆し「塩がきいた味」は素朴で風流ですね。「風味四季に変せず、日数に堪えて(しか)も味損ずることなく、茶前酒後にも適して妙なり」と広まりました。生地は寒梅粉と細かく砕いた砂糖、あんは国産小豆を使用しています。赤穂市内では10軒近くが営業しています。