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山崎整の西播磨歴史絵巻

  • 2020年6月14日(日) 08時30分

    たつの市の山城

    2020年6月9日(火) 放送 / 2020年6月14日(日) 再放送

    前回の長谷山城をもって、たつの市内にある主な山城14カ所を巡り終えました。始まりは新宮町の「城山城」でした。その北に位置し、城山城北郭の名もある「祇園岳城」と続き、揖保川町の長谷山城で締めくくりました。

    城山城と祇園岳城が内陸の典型的な山城であるのに対して、播磨灘に面した御津町室津の室山城は一転、港を見下ろす「海城」です。こうした好立地は、群雄割拠の時代には争奪の対象になりがちで、室山城もご多分に漏れず、城主は転々としました。最初は、源頼朝の命で地元の室氏が築いた砦に始まり、赤松・山名・浦上と城主が変わり、最後は龍野城主・赤松政秀が夜襲を掛け、浦上政宗・清宗の親子をもろ共に滅ぼしました。

    その龍野赤松氏の根拠地だった龍野古城から、山を下った近世龍野城もまた、1672年に着任した脇坂氏に落ち着くまで城主の顔ぶれが目まぐるしく、蜂須賀・福島・木下・小出・山口・池田・本多・小笠原・岡部・京極の各氏へと短期政権が続きました。そんな新旧龍野城のルーツとも言える平井城にも言及しました。

    しかし、たつの市内の知名度の低い山城にも特徴があります。例えば新宮町の香山(こうやま)城は、揖保郡北部から宍粟郡南部にかけて覇を唱えた香山氏の居城で、総石垣で造られた多数の曲輪をはじめ竪堀や石塁など、戦のための防御跡が残っています。秀吉が宍粟市山崎町の長水城を攻めた際、香山城は、かの黒田官兵衛によって落城しました。

    城山城や香山城のある新宮町で忘れてならないのは、鞍背城と曽我井城です。鞍背城は「因幡街道を見下ろす宇野氏の居城」です。14世紀前半の建武年間(1334~38)に赤松円心が播磨守護代の宇野頼季に命じて築城しましたが、前期赤松氏が滅びる嘉吉の乱(1441)で落城しましたので、100年余りしか持たなかったことになります。片や円心自らが築城した曽我井城も同じ乱で落ちましたが、こちらは応仁の乱の後に赤松政秀の三男・祐高が再興後、秀吉の播磨侵攻まで命脈を保ちました。

    揖西町と揖保川町養久(やく)にまたがる(おと)城の築城もやはり建武年間です。円心に命じられたのは高瀬小四郎景忠なる武将でした。1560年、赤松氏に仕えていた浦上氏の手により落城したのも、下剋上の象徴です。そして秀吉の登場後、軍門に下った龍野赤松氏4代目の広英(秀)がしばらくこの乙城に蟄居し、1585年には竹田城に移ります。

    このほか、たつの市内には、まだ多くの山城が残っています。天神山城をはじめ中山・笠松・竹万(ちくま)柴摺(しばすり)・伊津・武山・基山などの各城についても、機会があれば取り上げたいと思います。