『中国行程記』から㉒山田古墳群
2020年12月8日(火) 放送 / 2020年12月13日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの22回目です。太子町原地区には地名や神社に『播磨国風土記』の世界が息づいていましたが、原地区の東に位置する山田の地には「火の雨が降り、火の風が吹いた」とする恐ろしい伝承があります。
山田地区の山に「塚元」「塚穴」として5つの塚が『行程記』にもしっかりと描かれています。当時はよく知られた存在だったようで、「大昔に突然、村に火の雨が降り、火の風が吹き、村人たちはこの穴に逃げ込んで難を避けた」というものです。
歴史的事実を探れば、5つの塚穴は、6世紀中頃に築造された、周辺の村人らの古墳と見られ、家族単位で直径10メートル以下の円墳を数基ずつ造ったとされます。中世に入ると、土に覆われていた古墳が風雨などにより次第に露出し始め、大きな石を組み合わせた洞窟状の姿に神秘性を見いだしたからでしょうか、いつしか「火の雨・火の風伝説」を創り上げたのかもしれません。
『行程記』に5基描かれた塚穴も道路の新設などに伴って無くなり、今では2基に減ってしまいました。地元の太子町教育委員会の調査では「山田古墳群」として15基を確認していますが、『太子町史』には周辺地域を含めると、60基近い古墳があるとしています。
さながら「火の雨・火の風伝説」と符合するように、鼓原大歳神社には「原の松明」という火祭りを伝えています。毎年8月15日に地区の人々全員が大松明と竹松明、それに子供松明を作って、夕方になると山に登ります。日が暮れた頃、頂上で全ての松明に点火し、「チンカモ、モンカモ」という奇妙な掛け声を上げながら山を駆け下り、神社に着くと、竹松明を先頭に子供松明、大松明の順に火の粉を散らしながら境内を走り回ります。
この勇壮な伝統行事「原の火まつり」は、各地に見られるような、害虫を駆除する「野火」、あるいは祖先に対する「迎え火」のほか、「雨乞い」や「五穀豊穣祈願」などの意味も込められているのでしょう。
またこの地区は、古くは、農業用水の水源となる福井大池を巡って、他の村々、特に東に隣接する現在の姫路市青山地区との水争いが100年ほども続いたと言われます。ある年も村人が手に手にクワや棒を持ち、対立する村に攻勢を掛けようとすると、白髭の老人が現れ、「やめとけ!」との一喝したため襲撃が中止されたとされます。この老人は大歳神社の氏神ではなかったかと言い伝えられています。
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