『中国行程記』から㉓播磨十水
2020年12月15日(火) 放送 / 2020年12月20日(日) 再放送
『行程記』に基づくシリーズの最後23回目に当たり「播磨十水」の話で締めくくります。2020年9月に、たつの市御津町黒崎にある武山城を取り上げた際、麓の「篠井の水」を紹介するとともに、主な清水も挙げましたが、書物によって異同があります。全てを足すと10数カ所に上り、中には実際の場所が分からなくなっている所もあります。
「十水」と言いながら、今では「真に正しいラインナップ」を列挙できません。例えば、(公財)姫路市文化国際交流財団が2016年に発行した上下2巻の『播磨事典』を見ても、苦心の跡がしのばれます。実は私自身も他の項目を幾つか執筆したのですが、はっきりしない事柄の記述には泣かされました。「播磨十水」については、いろいろある中から『播磨事典』が選んだのは、姫路・英賀の妾あけほのが書いた『めさまし草』に挙げられた場所です。つまり「御所の清水」をはじめ、苔・鷺・篠井・柳・花垣・小野江・井ノ口の8つの「清水」と「糸の井」と「なから井」の計10カ所です。
では『めさまし草』より後の記録はどうでしょうか。江戸中期の1762年に完成した地誌『播磨鑑』に見える「十水」のうち7カ所は『めさまし草』と同じですが、「鷺の清水」「糸の井」「なから井」に代わって野中・井ノ口・落葉の3つの清水が入っています。その『播磨鑑』より42年後、江戸後期に入った1804年の『播磨名所巡覧図会』が『播磨鑑』の記述を引き継いでおり、これでほぼ定着した感があります。ただ、選者については『播磨鑑』が後期赤松氏の2代目・赤松義村が定めたとする一方、『播磨名所巡覧図会』には義村の曽孫・赤松則房の記述があります。
そんな「播磨十水」ならぬ計13カ所のうち西播磨に「名水」が5カ所もあるのは驚きです。まず、たつの市御津町黒崎の「篠井の清水」は武山城の麓にありました。次の「花垣の清水」は、古文献には「揖東郡佐野村古へ二条家ノ御領地也」とあり、佐野村は現在のたつの市新宮町佐野に当たります。3つ目の「小柳の清水」は旧揖西郡平井村に存在しましたが、今はたつの市揖西町清水であるのは、まさに名水が大字地名になったことになります。
4つ目の太子町黒岡の「桜井の清水」は『めさまし草』にはないのですが、『播磨鑑』に龍野赤松氏4代目の赤松広英(秀)が詠んだ「黒岡に往来の人も心あらば薬ともなれさくら井の水」という歌が載っています。最後は太子町糸井にある「糸の井」です。鎌倉後期に活躍した浄土宗の顕実上人の硯の水と伝える水で「いろくの木の葉流るる糸の井は行き来の人のしるしとぞ聞く」と上人の歌が伝わります。
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- 聖山城(上)